往きて迷いし物語

もるあきがトールキン教授やPJ監督に翻弄されるブログ・『この世界の片隅に』備忘録

おすすめトールキン関連書籍

 Tolkien Writing Day(http://bagend.me/writing-day/)第三回開催おめでとうございます。二回目は残念ながら不参加でしたが、皆様の素敵な記事を読むことができて楽しかったです。素晴らしい企画をありがとうございます。


 今回はおすすめのトールキン関連書籍、『中つ国の歴史』こと『HOME』9巻(The History of Middle-Earth Sauron Defeated)の「第三紀の終わり」の「エピローグ」について書きました。英語が不得手な私が要約したものですので、少しでも興味があるならば是非ご自分の目で原文を確認されることをおすすめします。
https://www.amazon.co.jp/Sauron-Defeated-Third-History-Middle-Earth/dp/0261103059

 J・R・R・トールキン教授の執筆した草稿やメモ書きを、トールキン研究者であり息子でもあるクリストファー・トールキン教授がまとめて出版した遺稿集のうち、指輪物語を扱ったシリーズの最終部分にあたり、物語の最後でフロドを見送り袋小路屋敷に帰ってきてから十数年後のサムの話です。
 『HOME』読者には「幻のエピローグ」として知られるこの話に書かれたサムの思いや、物語を推敲・編纂するに当たってのトールキン教授の意図についての考察・感想は多くのサイトやブログの記事で読むことができます。
 私はサムのことも好きなのですが、今回は大好きなギムリレゴラスのエピソードを取り上げます。同じ本を読むのでも個人やその時の気分によって色々な読み方、楽しみ方があることを伝えられたら、と思います。


 ある3月の晩に袋小路屋敷の書斎でサムが語る旅の仲間のその後の話、そして…。子どもたちに囲まれて話をするバージョンと、愛娘エラノールと会話しながら子どもたちの質問とその答えのメモを紹介するバージョンとあります。

 中でも私が特に好きなのが、ギムリがゴンドールに来たって王となったアラゴルンのために働いた話です。『指輪物語 王の帰還 上 九・最終戦略会議』(評論社文庫版参照)で、ギムリが「アラゴルンが当然受くべきものを受ける時が来たら、わたしはかれにはなれ山の石工たちの奉仕を提供しよう」とレゴラスに言い、また別の場面でアラゴルンが、破壊された城門を見て「もしわれらの望みがことごとく滅び去ることがなければ、その時はやがてグローインの息子ギムリをかの地に送ってはなれ山の石工たちを招請しよう」と言った、そのことが実行されたのです。ドワーフは約束を違えることはないのです。ちなみにレゴラスもゴンドールには「庭が必要だ」として、イシリアンに移住しています。

 ここから先が『追補編』とは違っていて、ギムリと彼の種族(はるばるゴンドールへ南下した、はなれ山の民の一部)は長きに渡り(都市再建の)仕事に取り組み、その誇らしい仕事が終わった後にはミナス・ティリスの西の白の山脈に住んだということです。このバージョンではギムリは燦光洞を一年おきに訪れたことになっています。

 クリストファー教授が解説で示した草稿には「白の山脈のミナス・ティリスからそう遠くない地に住んだ」ともあります。しかしギムリが友であるアラゴルンの拠点であるミナス・ティリスの近くに居を構えた設定は、残念ながら没になりました。『指輪物語 追補編』ではギムリと彼の民は「サウロンの滅亡後、ギムリはエレボールのドワーフ族の一部を南に連れてきた。そしてかれは燦光洞の領主となった。かれとかれの民はゴンドールとローハンですぐれた仕事を数々行った。ミナス・ティリスのためにかれらは、魔王によって粉砕された城門の代わりに、ミスリルと鋼の門を作り上げた。」(『追補編』A-Ⅲ)と変更されています。変更された理由については言及されていないのですが、考えるに、ギムリアラゴルンだけでなく、ローハンのエオメルとの結びつきを強固なものとしたかったのでしょうか。
 なお、ギムリが土木工事や建築の面のみならずアラゴルンの仕事を助けていたことは『終わらざりし物語 下Ⅰあやめ野の凶事』に少し書いてあります。第三紀の中つ国に興味がある人は『終わらざりし物語』は下から読んでもかまわないと思います。『追補編』の次に読むのでもいいかと。上の方は第一紀と第二紀の歴史が書かれています。
 

 また「エピローグ」にはギムリレゴラスが自分たちの種族を連れてアラゴルンのいる南へ旅をし、ドワーフたちとエルフたちが共に連れ立つ様が素晴らしかったそうだ、という話もあります。サムはこの話をエオウィンを訪問したメリーから聞いているので、このように伝聞なのです。
 長くいがみ合っていた両種族が人間の統治する国へ向かって、戦うためでなくそこで働き住まうために一緒に旅をしただなんて、この上なく平和を象徴する光景だったことだろうと思います。
 中つ国から影の脅威が取り除かれドワーフとエルフが手を携えるようになるまでどれくらいの年月がかかったことでしょうか。そしてドワーフギムリとエルフのレゴラスの仲を取り持ったのがアラゴルンたちたくましくも礼儀正しい人間と、小さくて勇敢なホビットたちと思うと旅の仲間は本当に素晴らしい人選だったなあとしみじみ思います。もちろん、魔法使いのガンダルフのことも忘れてはいけませんね。

 『HOME6』に書かれていた、初期の設定ではエルフのグロールフィンデルやエレストール、ドワーフではバーリンの息子ブリン(またはフラール)が仲間になる案もあったようですが、彼らが背負うものはたいへんに重たいですね。もし彼らが旅の仲間だったとしたら、道中、ケレド=ザラムを見なくては! とフロドを誘ったり、ニムロデルの歌を歌ったりしてくれなさそうな、本人たちの意図とは無関係にその明るい振る舞いがホビットや読者を元気づけてはくれなそうなメンバーです。何ならバルログと戦ってガンダルフを危機から救ってしまいそうな印象もありますが、彼らには彼らにふさわしい役目があり、我々の知るホビットが主役の物語にはあまり詳しくは書かれなかったのです。出番がなくなってしまったドワーフもいますが、物語を完結させるために必要な過程だったのかもしれません…。

 『HOME9』に戻りましょう。
 ケレボルン殿は木々の間でエルフらしく幸せに彼の土地で暮らしているだろう、まだ彼の時は来ていないが、中つ国に倦んだらいつでも旅立つことができる、レゴラスもいつか海へ行くだろう、ギムリがいる限りは留まっているだろうが、という話もあります。
 『追補編』を読まれた皆様がご存知のように、アラゴルンが亡くなった後、レゴラスギムリを連れて西へと旅立ちます。
 私にはエルフの気持ちを理解するのはとても難しいのですが、エルフはうんと長命ですから、いつか会いに行かれると信じているならばガラドリエルと別々に暮らすのもケレボルンにとっては直ちに胸が張り裂けるほど辛いことではなかったのかな? と思いました。これを読む前に思っていたよりは辛くなさそうで安心しました。
 鷗の声に心を奪われながらも定命の友と離れがたく中つ国に留まり続けるレゴラス、大いなる脅威もなく簡単に命を落とすことのなくなった世で待つことができる、という気質はケレボルンと似ているのでしょうか。エルフ全般がこうではないにしても。
 
 『追補編』の話になりますが、レゴラスが自分と同じ名(エリン・ラスガレンすなわち緑葉の森)を新たにつけられた森から出たことは私自身もしばしば冗談半分に語ってしまいがちです。しかしこうして『HOME』を少しばかりめくってみれば、レゴラスの移住はただイシリアンのその土地を気に入っただけでなく、アラゴルンギムリへの友情があったればこそ、と考えるのは当然です。
 レゴラスの父であるエルフ王も、ケレボルンのようにエルフらしく自分の愛した土地で暮らすことに喜びを感じたのではないか、と想像を巡らせますと、父王の手に何の妨げもなく愛することのできる、やがて美しさを取り戻すであろう森が戻ったのを知ったレゴラスは安心して森を出たのではないかと。無論これは人間である私の想像でしかないのですが、レゴラスがミナス・ティリスや燦光洞に住まなかったために彼らへの友情が目減りしないように、緑葉の森に住まなかったために親や同胞への愛情が減じることもないと思います。むしろ旅を通して成長し独立するという、人間に近い適応をしたのかもしれません。
 レゴラスは『指輪物語』に出てくるエルフの中でも飛び抜けて風変わりな印象が強いのですが、少し変わった表し方をしているだけで彼なりに愛情深いキャラクターなのだと思います。それだから私はレゴラスのことが好きですし、もう少し人間に近い感情表現をしてくれるギムリのことは大好きなのです。


 かなり偏ったエピソード紹介になりましたが、没にされたり出版されるに至らなかったとは言え、『HOME』には『指輪物語』や『ホビット』、『シルマリルの物語』の原型や、物語の隙間を埋めるものがあることが伝えられたでしょうか。
 『HOME』9巻にはフロドとサムのモルドール行から「エピローグ」まで、何度も何度も修正されて出版に至った草稿から、本編とまるで違っているエピソードが多数収録されています。特にサルマンの最後が…。後半にはヌーメノールの原型となった話が載っています。「エピローグ」だけでもたくさんの面白い話(子どもたちの興味の先に、サムのエルフ語ミニ講座、アラゴルンの茶目っ気)や、しんみりするエピソード(飛陰は…、エントは…)が満載です。特にサムの話は前述の通り日本語サイト・ブログでも取り上げられていますので、是非検索して読んでみてください。また、原書を手にとって、『HOME』の楽しさを知っていただけたらと思います。
 ここまで読んでいただいてありがとうございました。
 

みんぱくでモンゴルのゲルに入ってきた

 吹田市にある国立民族学博物館に行ってきました。今年の3月にもいったのですが、その頃はまだ北アジアアイヌの新展示がまだ見られなかったのです。

 今回はモンゴルの移動式天幕型住居、ゲルを展示用に提供してくれた元住人のエンフバト氏と奥様のミンジン氏が来日されてお話をして下さるという企画に参加してきました。国立民族学博物館の併任教授の小長谷有紀氏が通訳と解説をして下さり、他にも通訳や記録、案内のために数人の方が携わっておられました。ありがとうございます。

 「おもてなし草原流」というテーマで、実際にゲルにお招きいただき、お茶やお茶請けのチーズ、お酒を(博物館の中なので飲食禁止のため空杯で…)いただきました。ゲルに入る際には、こんにちは「サィンバイノゥー」と声をかけ、男性は左側、女性は右側に着座します。参加者は女性が多かったので左側にも座ったのですが。
天井は布の上にフェルトを張りさらに布で覆ったもの、中央に竈の煙突を出すためと明かり取りにもなる穴が空いています。雨が激しい際には閉めることもできます。竈の両脇には二本の柱がありますが、これで天井を支えているのではなく、細い木を組み合わせた骨組みでドーム状の天井を支えています。
 この骨組みは折りたたんで運ぶことができます。
 では竈の両脇の柱は何のためにあるのか?と言いますと、竈の神様を守るための結界になっていて、その柱の内側へは入らないように…ということでした。

 モンゴルの遊牧民同士の社交的な会話は「おかわりありませんか?」に対して「いいえ、何もありません」と答え、平穏さを称えるというもの。とは言え、実は家族が亡くなっていたり病気であればその話はおいおい…、ぼちぼちしていくということです。

 お酒を振る舞われた際には薬指を軽くひたし、天・地・人に捧げてからいただきます。薬指は大事な指で、ヨーグルト作りの時に温度を確かめるのもこの指で行います。他の指は副交感神経、薬指には交感神経のツボが通っているのですね。先日魔法のアイテムはなぜ指輪なのか? なぜ薬指なのか?は調べて途中で放り投げていたのですが、思わぬところでヒントをもらいました。身体の機能はどのような種族であれ共通していますから、他の文化でも薬指が特別視される根拠はちゃんとあったのです。

 モンゴルには嗅ぎたばこの交換の習慣もあり、袱紗のようなきれいな布に包まれた小さな瓶を相手と交換し合い、瓶の中身を爪の上に乗せて鼻で吸い込んで匂いを嗅いだあと、瓶を返すというもの。
 これも参加者全員が実際にさせていただきました。たばこといっても火も使わずお香のようなとても良い香りのする液体が入っているようでした。ニコチン成分が含まれた刻みたばこと同じような嗜み方をするだけのものでした。とは言え、普通、子供はこの嗅ぎたばこは嗜まないということでした。

 他にも奥様のミンジン氏お手製の衣装を羽織らせていただいたり、放牧には馬だけではなく車も使っているお話をしていただきました。フェルトを丈夫にするために昔は馬で、最近では車で引きずるのだとか。長谷川町子さんの旅行記漫画で読んだことがありますが、絨毯も仕上げに人の足で踏んだり車で轢いたりすることで風合いが良くなるそうです。

 狼は家畜の主に子供を狙う害獣であり脅威であると同時に畏怖の対象でもあり、日中に狼と出会うことは吉兆とされているそうです。
 狼の肉は食べるのか?という質問に対し、同物同治の考えから体の不調のあるのと同じ部位を食べることがあると説明がされました。脳みその煮込んだものはカルボナーラみたいで美味しいそうです(✽ ゚д゚ ✽)
 また狼や家畜の踝の骨はお守りになったり、骰子にしたりするそうです。

 布や彫り物の細工も基本的には自分たちの手でするもので、得意な人にお願いしたり…でも、フェルト作りなどは売っているもので済ませる人も増えてきているそうです。

 まあまあテンパっていたので肝心のゲルの写真を撮り忘れるなどしました。

 たいへん興味深くとても濃い時間を堪能いたしました。エンフバト氏、ミンジン氏、国立民族学博物館のみなさま、ありがとうございました。 

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HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 三週目

 ツイッターネタはソヴィエトの子供番組のホビット。まだちゃんと見れてないです。早く見たい…。

@TomitaKentaroさんのツイート(https://twitter.com/TomitaKentaro/status/747555321640452097?s=09)をチェック

The 1985 Soviet TV Adaptation of The Hobbit: Cheap and Yet Strangely Charming(OPEN CALTURE)
http://www.openculture.com/2014/08/the-1985-soviet-tv-adaptation-of-the-hobbit.html

 そしてサウロンの第一紀の鎧です。綺麗です。

美しき悪の艶めき。「指輪物語サウロンの第一紀の鎧(ギズモード・ジャパン)
http://www.gizmodo.jp/sp/2016/06/first-age-sauron-armor.html

サイト;PRINCE ARMY
http://princearmory.com/project-writeup-first-age-sauron-armor/


 今回の読書会はフェアの性質と再生について。
 カメハメさんによるまとめです、いつもありがとうございます(-人-)

http://togetter.com/li/992853

 わたしはタグつけるまでもない話ばかりしています。

 マイロンが堕落した時クルモはショックだったろうなあと思うと同時に(
そういうのもあるのか!)とちらりと無意識にでも思ったりしたのかしら。悪の芽はどこにでも転がっているぞと。
 ちなみに今回の範囲に特にクルモやイスタリの話が出てくるわけではありません。

 アマンでホビットドワーフの死体はくさるのか? 朽ちない可能性なんて考えたことなかったのでお墓作る気満々でした。

 前から言われてるけどやっぱり人間の女性では半エルフの子供を産めないのかなーフェアの強さと関係あるのかな…。
※女性側が高位だと産める(マイアとエルフ、エルフと人間の組み合わせ)ようなので、子供が産まれなかったので記録には残らなかった人間とエルフのカップルなんかもいたのかな…?などなど。

 読書会は続く

 

HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 二週目

 まずはカメハメさんによるまとめです。いつもありがとうございます。
HoMe読書会第三回・第1部「エルダールの法と慣習」第2週
http://togetter.com/li/987197

 夏至の日にはTolkienWritingDayの二回目もありましたが、今回は不参加でした。しかし今回もまたとてもたくさんの興味深い、楽しい記事がアップされてありますので、まだ読んでいない方はどうぞご覧になってください。

http://bagend.me/writing-day/


 アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ!


 さて読書会の今回の範囲はエルフの名付け、そして死のこと。
 名前の種類がたくさんあって頭がパーンとなりかけていたところを、めれさんに解説していただいて何とかなりそうな気がしてきました。
 単語を分解した方が意味がわかりやすく、他と区別しやすくなりますね。

 以前さやうぇんさんが作っていた分類カードを真似て、自分でも作ってみました。もっとたくさん書けるバインダーの方がいいのかな? 今回の読書会はこれでやってみます。

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 ラマティヤヴェ、心地よい音についてぱっと思いついたのがティーティーウーでした…ムーミンの短編集でスナフキンにねだって名前をつけてもらったはい虫。声に出してみんなに呼んでもらいたい名前…自分の性質を反映していることが大事なのです(´∞`)


 フェアとフロンド(フロア)の関係は二回目の読書会、アスラベスで触れましたが、肉体を服や家に例えるのがわかりづらい(個人の感想です)

 キャラメイクゲームで考えると、こんな肌の色で髪型は〜とやってできたキャラクターがフロンド、登録するとフェアを得て動かせるようになるので名前をつけてあげよう。オンライン型なのでアルダが続く限り、サービスが終了するまでは半永久的に生きる。レベルアップはするけど老けない。
 しかしゲームのグラフィックが進化すると君のキャラクター低解像度だね…みたいになる(衰退)小さくなり、形を保っていられなくなる…。それでもメモリーとしてキャラクターは機能し続ける。

 敵と戦って傷ついたり、ゲーム内の災害や事故でヒットポイントがなくなるとキャラクターは死んだとして動かせなくなるが、メモリーとしてマンドスの館に記録される。
 綴織はキャプチャーや動画なので、このメモリーとは別の性質のものである。

 メモリーを元に新しく外見や特徴をそっくりにして、名前も同じキャラクターを作ることもある。二回目なので作るのはスムースに行くけど、レベル1からやり直すことになる…(# ゚Д゚)

 再生については今回の範囲ではなかったですね。まだちゃんと読んでないです。

 フェアーとフロンド(フロア)については以前dispさんに薦めていただいて『トールキンによる福音書』を買ったのでそれをよまなくてはな〜…と思ってはいるんです…。

HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 一週目

 ついに始まりました!主催のdisp様や訳をしてくださっている皆様には感謝を申し上げます<(`・ω・´)

 カメハメさんがまとめてくださったトゥギャッターはこちら
HoMe読書会第三回・第1部「エルダールの法と慣習」第1週
http://togetter.com/li/981479

 私が最初に受けた印象が、フィンウェの再婚が早くてフェアノールが可哀想、というものでした。で、まとめでは私勘違いしたまま発言をしているけどこの15年はヴァラール暦(ヴァラール年)? およそ150年。

ヴァラール年(中つ国wiki)
http://arda.saloon.jp/index.php?%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B9%B4

 じゃあ父の再婚に傷つく小さなフェアナーロ(フェアノール)はいなかったんだ! と思ったけど、ミーリエルが眠りについてからヴァラール会議の結論が出るまで2年(およそ20年)、その間にフィンウェが再婚の申し立てをしたということなので。
 シルマリルの物語にフィンウェが「ミーリエルが幼いフェアナーロのそばにいてやれないこと」を嘆くシーンがある(この時のフィンウェはミーリエルが永遠の眠りを選択するとは考えてなかった様子)ので、やっぱりフェアノールが幼い頃〜少なくとも身体が大人と同程度に成長し結婚適齢期になる前に再婚したいと言い出したんですねフィンウェさん(u_u)

(※6月5日の追記
 dispさんより教えていただきました!
 ヴァラール年一年でのエルフの成長度合いは太陽暦一年に相当する、とのことです。
HoMe10のMYTHS TRANSFORMED,Amanに詳しく載っているそうです。

 また、悠樹さんより教えていただきました。
 子供が幼い頃母親がいないのは可哀想、ということに関してヴァラール会議や後の展開でヴァラールとミーリエルの意見が見られる、とのことです。
 ヴァラールの会議も読まなくては!追記ここまで)

 フィンウェさんが再婚したい理由がよくわからないまま(もっとたくさん子供がほしいという言葉通り受け取っていいのか)読んでいたので、他の方の意見が知れてよかった!
 でもやっぱりまだ自分の中では消化しきれてないので、時間があったらここ読むとこんなこと書いてあるんだよーと教えていただいた箇所も読みたいです。そのうち(x_x;)

 読書会の開始と前後してこういう記事が出てきたものだから、トールキン警察大喜利もありました。一番のトールキン警察はクリストファー教授だとか何とか。

指輪物語ファンが漫画家に激怒「ゴブリンやオークは変質者じゃない」
http://www.news-postseven.com/archives/20160528_416602.html

 またこれをきっかけにして「トールキンが物語を書いた意図」に関して様々な意見が飛び交った(未確認)ようです。

 一方私は「教授は神話としてのシルマリルの物語にどのような機能を持たせたのだろう? 心躍らせる素敵なお話という目的の他に」などと考えておりました。

 シルマリルの物語の神話としてのはたらきは、世界の成り立ちを語り、どのヴァラ、ヴァリエが何を司るのかを教え、世界が影に傷つけられたことを教えるものです。新たな法を作る時は神様たちも話し合って結論を出さないといけないとか、エルフも出産で亡くなるとか…。

 悠樹さんがヴァラール会議をまとめてくださったのですが、独裁は良くないからと公正であろうとすると合議制になり、しかしとても時間がかかりますね。意見のすり合わせをしようと思ってる人と自分の意見で相手を負かそうと思ってる人がいたりして…。
 創造主は法の細かいとこの改正まで面倒みてはくれないんです。そんな暇ないぐらい忙しいのかも。

 フィンウェとミーリエルとフェアノールのことが気になりすぎて、出産で母親が亡くなる神話物語の絵本をたまたま見つけて購読したりもしました。

 『くまののかみさま』というこの絵本、昨日からダイマしてるけど、これたぶん和歌山に行かないと手に入らないやつかもだ。

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 そして予習復習が進まないまま2週目に続くヽ(=´▽`=)ノ


修正・追記
×ミーリエルが永遠に眠りを選択する
→○ミーリエルが永遠の眠りを選択する
 マンドール(マンドス)の館で傷を癒やし憩っていたミーリエルの魂は離婚争議を経てその後ヴァイレの下でフィンウェやノルドールの歴史を記した綴織を織っている。
 と書くと何だか、生きる肉体を放棄した罰を受けているようにも感じられる。後妻と子どもたちのことを綴るのはまだしも、フィンウェの死やアルクウァロンデの同族殺しを(ヽ´ω`)

×ヴァラ、ヴァイレ
→○ヴァラ、ヴァリエ

6月5日の追記
 本文中の該当箇所にも挿入しましたが、ブログを見た読書会メンバーの方々よりご指摘をいただきました。フォローありがとうございます!

dispさんより
 ヴァラール年一年でのエルフの成長度合いは太陽暦一年に相当する、とのことです。
HoMe10のMYTHS TRANSFORMED,Amanに詳しく載っているそうです。
 次々に読みすすめなくては(;・∀・)

悠樹さんより
 子供が幼い頃母親がいないのは可哀想、ということに関してヴァラール会議や後の展開でヴァラールとミーリエルの意見が見られる、とのことです。
 ヴァラールの会議も読まなくては!


 くまののかみさま・熊野権現縁起・熊野の本地における異常出産

み熊野ネット>熊野の説話>熊野の本地
http://www.mikumano.net/setsuwa/honnji0.html
 こちらのサイトに絵本より詳しい内容がありました。
 子供のいないマガタ国の王が信仰心の厚い五衰殿の后を寵愛し、やがて后は妊娠したが他の后たちが嫉妬し…という話です。
 京極夏彦の小説『姑獲鳥の夏』で異能の人物が異常妊娠を経て産まれる理由を説明するシーンがありました。めちゃくちゃ簡単に言うと、スゴイ人だから普通に産まれたはずがないと、語り継がれるうちにありきたりではない産まれ方を捏造されてしまうんですね。ものすごく長い妊娠期間を経たとか、有名なところでは脇の下から産まれたブッダとか。
 『熊野の本地』では他の后らに妬まれ迫害され異常に早い出産の後、母后は首を切られて殺されました。死体の乳を飲む赤子にはぎょっとしますが切なさも感じられます。本来なら待望の王子として祝福され誕生するはずだった赤子が産まれ方と言い育ち方と言い只者ではないことが示されています。

 シルマリルの物語が人間のそれも古い時代から語り継がれる伝説ということであれば、ミーリエルとフェアノールの話も後世に捏造された部分があり、その意図するところは…と読み解くやり方もあるのですが、エルフの歴史なのでたぶんそんな部分で盛られてはない…しかし教授の意図したものは何かあるはず…(´ω`)

コトバンク 熊野の本地(くまののほんじ)
https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E9%87%8E%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%9C%B0-831048

 異説もあり、こちらは動物と僧に育てられた王子が王を訪ねていくと母后が蘇るパターンも載っています。『熊野権現縁起絵巻』を元にした『くまののかみさま』でも母后は蘇っており、王は(嫉妬深い后たちのいる)国が嫌になって母后と王子、僧らを連れて安住の地をあちこち探して紀伊に落ち着いた、と。
 熊野に祀られている母后は伊邪那美(イザナミ/千手観音)、王子を育てた僧は家津美御子大神 (ケツミミコオオカミ/阿弥陀如来)、王が伊邪那岐(イザナギ/薬師如来)、王子は天照大神(アマテラスオオカミ/十一面観音)であるということです。神様の前世に仏様をあてはめて、さらに間に人間としての生を挟む本地垂迹ややこしい(T_T)

 だいぶ話が逸れてしまいました。まとめにも出てきていましたが、古事記日本書紀イザナミによるカグツチの出産、死の方がミーリエルとフェアノールに近いですね。イザナミの前世を五衰殿の后としてマガタ国に下った千手観音とすると、彼女(?)は二回も異常出産させられてるのか…異常出産しているから前世としてあてはめられたのか…(-o-;)

 参考:熊野本宮大社
http://www.hongutaisha.jp/about/

6月11日追記
 ヴァラール会議の部分を読み進め中(・∞・)悠樹さんのまとめのおかげで読みやすいです。ありがとうございます。

 HoMe10P257にミーリエルに関する描写。
 彼女の髪は銀のようで、彼女は草の中の白い花のようにほっそりとしていた…
 刺繍が得意なことはすべての原稿に共通して書かれているのかな? 彼女のセレンデあるいはセリンデという呼び名は刺繍を(よく)する人(女)、彼女にこの名前がつけられたと同時に歴史の綴れ織りを織る役目が課せられた…のかも。

 ミーリエルの髪の色が銀色なので、フェアノールの髪色にもその要素が混じっていて、鋼のように輝く黒髪が時折銀のように見えたらいいなあと思いました。

 会議は続く…(まだ読めていません(>o<))

読書会メモ

 いよいよHoMe読書会が迫って参りました。読書会については前回の記事の最後の方をご覧ください。

 範囲は第10巻"MORGOTH'S RING"の"The Eariest version of the story of Finwe and Miriel"フィンウェとミーリエルの話の初期版、p205~233と第12巻"THE PEOPLES OF THE MIDDLE- EARTH"のShibboleth of Feanor フェアノールのシボレス(合言葉、符丁)p332~366。

 読み進めてる途中でいくつかクウェンヤがわからなかったので、トールキンゲートウェイを参考にしました。 リンクのみ。

http://tolkiengateway.net/wiki/

Lámatyávë

http://tolkiengateway.net/wiki/L%C3%A1maty%C3%A1v%C3%AB

 

Annessi(essë)

http://tolkiengateway.net/wiki/Ess%C3%AB

『ビルボの別れの歌』をわかりたい

 J.R.R.トールキン教授の代表的二作品、 『ホビットの冒険』(以下「ホビット」)、『指輪物語』(以下「指輪」、ページ数は評論社文庫版のものとする)を初めて読んだ時に読者が遭遇するのが、意味ありげな設定や詩が出てきては詳しく説明されずに次のエピソードへ進んでしまう、という現象なのですが、それらの内容がわからなくても物語のすじを楽しむことはできるのです。
 しかしその後『シルマリルの物語』、『終わらざりし物語』まで読んでから『ホビット』、『指輪』へ戻ると、「ここはあれのことを言っていたのか、だからこの詩が出てきたのか」としみじみ面白いのです……が、二周目を終えると「自分はちゃんとこれをわかっているのだろうか? わかったつもりになっていないだろうか?」といった疑念もまた湧いてくるのです。

 そんな読者のためにトールキン世界を理解するための解説書も何冊も出ているのですが、ここがわからない、納得または理解するためにどの本を読めばいいのかわからない、という具合に、目当ての本を探しあてて読むのがたいへんです。気になった解説書はどんどん買っておいて読めなくても目次には目を通しておく、できれば読む、が正解への道でしょうか。これがなかなか難しい。さらに私の場合は英語をちゃんと読めないという障害が立ちふさがりますので、ついつい楽をしようと先人の研究成果をネットで探して読んだり、ツイッターで皆様から意見をいただいて終わってしまうのですが、物語をできるだけ自力で読めるようになった方がいいのではないか、と思わないでもないのです。
 また、これはみんなわかるだろう、解説するまでもないな、と思われたのか、解説が見つからないこともありまして、『ビルボの別れの歌』はまさにそのパターンなのです。わかりたい。

Tolkien Writing Day』の企画のために読む本を探していた私は、フォロワーさんが旅行先で買いたい本の一冊としてあげた『ビルボの別れの歌』の原書を、そういえばちゃんと読もうとして放置していたなあと思い出し、本棚から『BILBO'S LAST SONG』(以下BLS)を引っ張り出しました。私が日本語訳版を買おうと思った時期にはすでに『ビルボの別れの歌 灰色港にて』(岩波書店刊、脇明子訳 ポーリン・ベインズ絵 以下「別れの歌」)は絶版で手に入らなかったので中古で購入するよりないのですが、なんとなくタイミングを逃しているところです。図書館で閲覧することもできますが、原語版のものよりふたまわりは大きくて絵の細部まで見られるし、なんといっても日本語なのです。やっぱり中古でいいから欲しいですね。ちなみに英語の理解が難しい部分の日本語訳を図書館で筆写したメモが私の手元に少しあります。

 この本を再び読んでみようと思います。

 この絵本は一篇の詩とポーリン・ベインズ氏によるイラスト(詩の流れにそったものと『ホビット』のストーリーににそったもの)、巻末にはイラストを描くにあたり『指輪』『ホビット』のどの部分を参考にしたかが書いてあります。
 この詩はビルボが西へ行く前に灰色港で書いたものとされています。なので、日本語訳版には副題として「灰色港にて」とあるのですね。4行12連の詩です。


日はもうかげり
目もおぼろになったけれど
わたしはまた旅に出る
長い長い旅に
」(別れの歌)

"
Day is ended,
dim my eyes,
but journey long
before me lies.
"(BLSp8)

 日はかげり目もおぼろに、の言葉にはビルボも指輪と離れてすっかり年老いたなと映画『ロード・オブ・ザ・リング』のイアン・ホルム氏が演じた姿を想像してしまいますが、『指輪』のビルボはこの詩が完成する数日前の3021年9月22日にフロドと再会した折、「ところでわたしは今日トゥック翁を追い越したよ! そこでこれはけりがついたと。それで今はもういつでもまた旅に出かけられるつもりだよ。お前も来るかね?」(評論社文庫『新版 指輪物語9 王の帰還 下』灰色港p327)などと発言しており、気持ちはまだまだ元気な様子です。小馬に乗って居眠りしつつ、詩を書けるぐらいには頭のはたらきもしっかりしているのです。『指輪』のホビットたちの悲しい別れやまた詩のこの部分だけ読んでみますといくらか寂しい気持ちになりかけますが、ポーリン氏のイラストのビルボがじつにかくしゃくとしているせいもあり、「わたしはまた旅に出る」"but journey log before me lies"という言葉にはけして後ろ向きの思いばかり込められていたわけではないな、と感じることができます。イラストによってより多くを感じられるのが絵本のよいところですね。

 以下、詩には中つ国への別れの言葉と海の描写が続きます。
"Farewell,Friends!I hear the call."(BLSp10)
"Farewell"に関しては私はもうトーリンを思い出してしまって悲しくてダメです。"Friends"には中つ国に生きているものだけでなく死んでいったものも含まれているのでしょうね。
 呼ぶ声が聞こえるというのはレゴラスが鴎の声を聞いて心を囚われたような気持ちでしょうか? しかしエルフのレゴラスと違ってホビットには海を恋しく思う理由もなければ馴染みもないので、新しい旅が楽しみでならなかったビルボの気持ちの表れかと思います。
「だいたい海を見たとか、海を船で渡ったとかいうホビットはまれだし、戻って来てその話を聞かせてくれるホビットといえば無いにひとしかった」(『指輪』1 旅の仲間 上1 序章一ホビットについてp19)とありますように、物語の主人公であり読者にとっては初めて出会うホビットであるところのビルボが(それにフロドも)ホビットという種族にはとても珍しい例外中の例外であることは『シルマリル』(評論社刊『新版 シルマリルの物語』以下「シルマリル」)のフィンウェとミーリエルがじつに例外的なエルフであったことを思い起こさせます。
 この後もビルボは詩の中にいきいきと波しぶきや風をはらんだ帆を描き出しているので、新しい旅、中つ国では最後となる旅と初めての航海を楽しみに興奮している様子が伝わってきます。

 注目したいのは"the wind is east,"(BLSp16)との一行で、『終わらざりし物語』にヌーメノールの船があまりにも行く先を遠くへ求めすぎた際には逆風が吹いて航海が困難だったとあり(第二部◆第二紀 Ⅱアルダリオンとエレンディス)、『シルマリル』にトゥオルとイドリルの行方を求めたエアレンディルが逆風に追われたとありますように(第二十四章 エアレンディルの航海と怒りの戦いのこと)、伝承の物語の中で吹く風には〈アルダの風の王〉たるマンウェの意志を感じることができます。
 トールキン教授がビルボを通して「エアレンディルの歌」(『指輪3』旅の仲間下1 p44-52)にシルマリルとエルウィングを伴ったエアレンディルをアマンへ運んだ東風のことを書き、この最後の歌にも東風のことを書いたのは、マンウェが長年中つ国を安らかにするために尽力してきたエルロンド卿やガラドリエルの奥方たちエルダールの帰還を拒んではいない、と伝えたかったのではないかと思います。

 さて、6連目の最後の行の理解が私には難しいのです。

"
Shadows long
before me lie,
beneath the
ever-bending sky.

But
"(BLSp18-20)

 とりあえず自力で読んでみましょう。影横たわると言っても指輪戦争終結後なので、かの忌まわしい敵のことではなく旅路を行くビルボの前に長い影が横たわっている、影が長いのは朝方か夕方、西へ向かって旅しているので、朝日でしょうか。「夕方からずっと夜をこめて、一行はホビット庄の真ん中を通って行ったのですが、」(評論社文庫『指輪』9 王の帰還 下灰色港p329)とありますので、朝日ですね。こんなふうに夜中も馬を歩ませていたのならビルボが居眠りするのも無理はありませんね。

 問題は次です。えー、変わることなく曲がっている空の下……わからないです。(つд⊂)
 「bending sky」でネット検
索してみるとなんだか素敵な曲がヒットします。(ユーチューブへのリンクなので曲が流れます。ご注意ください)
 画像検索してみればイメージを掴めるかとおもったのですが、どうも難しいようですね。アルダやトールキン世界に共通の言葉でしょうか?『THE LORD OF THE RINGS』の原語版をスマホKindleにDLしてあるので、本文検索してみたものの、そのままの言葉はなく、「bend」では地形や道のりの説明しかヒットしません。「sky」でも普通に空の描写があるのみでしょうか。今回の調べものとは関係ないですが「東の空」は何回も出てきますね……などとつい脇道にそれてしまいがちなのもトールキン読書のこわいところです。
 ところでKindle版は3冊セットに追補編も入っていてセールになるとなお安いので、ざっと検索したり原語を確かめたりするのには打ってつけです。

 ここで脇氏の訳を見てみます。


ゆるやかに湾曲する空の下には
どこまでも長い影が
伸びているけれど
」(別れの歌)

「ゆるやかに湾曲する空」おお、曲がっている空と訳するよりはずっとわかりやすい!いや、やっぱりわからない! この、わかっていないのにわかってしまいそうになる感覚、伝わりますでしょうか。脇明子氏もそうなのですが、瀬田貞二氏や田中明子氏の日本語の表現が素敵すぎて、よくわからないにも関わらず、なんかそういうことなんだな、と思ってしまうことがよくあるのです。たいへん頭の悪い文章で申し訳ありません。

 ではイラストに助けを求めてみましょうか。このページのポーリン氏のイラストには丸みを帯びた丘の上から海を眺める一行の姿が描かれています。視点を変えてみると、丘が丸い、そのために空も円弧で切り取られて見えるということなのかしら。
 イラストの参照元としてポーリン氏が引用したとしているのは"7.Dawn,29th September 3021(S.R.142
1):'They came to the Far Downs...and looked on the distant Sea.'(ROTK,p.310)"(BLSp37)「そしてかれら一行はホビット庄を通り過ぎてしまうと、白が丘連丘の南の麓を回り、向が丘連丘に来ました。それから三つの塔に出て、遠くの海を眺めました。そしてとうとう一行はミスロンドすなわちルーン湾の長い入江にある灰色港にやって来ました。」(『指輪9』王の帰還 下 下p329)となっています。S.R.はホビット庄暦のことなので、『追補編』の代々の物語の年表で確認できますね。指輪戦争終結のおよそ2年後の9月21日にフロドとサムは袋小路屋敷を出発し、22日にビルボと合流、29日に灰色港に着いています。この詩をビルボがサムに渡したのは(そうでなければ詩が残っているのはまったく不思議ですから)、この29日でしょうね。
 英語版での引用は一部省略されていますので、念のために"Far Downs"の訳語も追補編の索引で確認しておきましょう、向が丘連丘、Far Downs、よし、合ってます。位置関係も改めて地図を見てみたくなったので『「中つ国」歴史地図 トールキン世界のすべて』(評論社  カレン・ウィン・フォンスタッド 以下「歴史地図」)の出番です。私は評論社文庫をバラバラに手に入れたので文庫の10冊セット版についている大きな地図を持っていなくて、また、10冊のどこにどの地図があったのか把握しきれていないので、これがとても便利なのです。『王の帰還 下』に乗っている地図は小さくてほとんどつぶれてしまっているのですよ。
 さて『歴史地図』でも英語の名詞は巻末のインデックスに併記されています。これは英語版の方がオススメだと灰色の魔法使いが言っていました。確かにこういう調べ物の時には英語版が手元にあるのがどんなにかいいでしょうか。HoMEや研究書は英語で書かれていますし……。
 記述通り、向が丘連丘"Far Downs"は白が丘連丘と塔の間にあります。その先には灰色港です。ホビット庄と港に南北の差はあまりなく、ほとんど東西にまっすぐ並んでいるんですね。記憶していたよりもずっとフォルリンドンとハルリンドンとが張り出していて河口が狭くなっていますから、港近くの丘の上からなら水平線が丸く見えるようなこともあるかしら? という推理をしてみましたが、塔に登らずにそういった眺めを期待するのは無理そうです。

 このままでは自分にとっての正解が出せない、出せないというネタでも仕方ないのか……と諦めかけたそのときふと『シルマリル』に灰色港からの旅立ちの記述があったことを思い出しました。ここまで書いてようやく思い出したのです。

「そしてかれらは、湾曲して遠ざかってゆく新しい世界を下方に、古い道、即ち西方に至る記憶の道は、あたかも風と鳥の行き交う空中(これも今は世界と同じように湾曲してしまった)に架けられた、目には見えない橋のように続いて、」(『シルマリル』アカルラベースp464)

「秋の夕暮れ、船はミスロンドを出航し、やがてついに、湾曲せる世界の大海原は船の下方に遠ざかり、円い空を吹く風ももはや船を騒がせず、この世界を包む霧の上なる高層の大気の上を運ばれ、船は古の西方王土に入っていった。」(『シルマリル』力の指輪と第三紀のことp496-497)

 湾曲する空とはただ単に空が丸く見えたといった話ではなく、ビルボがアルダの歴史をも詩に織り込んだのでしょうか。「湾曲する空」と「円い空」は同じものでしょうか、別のものでしょうか。
 円い空、のようなものについて以前グワイヒア氏のトールキン研究サイト「ミドルアースの風」様で目にしたことがあったような、そう、エルフ語の「空」と「天井」の関係について読んだことがありました。さっそく確認いたしますと、サイト内の「エルフ語講座-人名-エルロンド-エルロンドという名の内にある小宇宙」や、「トールキン本 正語標-指輪索引-タルメネル」の項に詳しくありますが、”rond=ドーム=天井=空”、”空はドーム状のものを支えているという考え方”が、エルフの言葉に入っていて、エルロンドの名前にも入っていたのですね。
 エルロンドの名前に入っていたということは即ち世界が湾曲する前から「円い空」があったということでしょう。ナルゴスロンドもそれよりずっと前にありましたもの。「円い空」と「湾曲する空」は別物であると言っていいと思われます。ではやはりビルボが世界が湾曲させられたと同じく湾曲させられ、今なお湾曲する空についての知識を持っていたのでしょう。

 タルメネルの項を見ていてヒントをいただいたのですが、そもこの言葉はビルボが「エアレンディルの歌」の中に用いた言葉なのです。タル、メネル共にその意味は『シルマリル』の
「クウェンヤ語及びシンダール語の固有名詞を構成する主要部分」にあります。tarは「高い」' high'、 menelは「天空」'the heavens'の意味です。もちろん天国ではなく天空の方のheavenですね。"内は『The Silmarillion』からの引用です。これもKindleでセールの時に買いました。
 また、『THE HISTORY OF MIDDLE-EARTH』のvolume7『THE TREASON OF ISENGARD』をTarmenelで引くと、'High Heaven'とあり、グワイヒア氏が書いておられたように「エアレンディルの歌」の推敲を見ることができます。教授のこだわりが発揮されていて、本当にちょっとした部分を何度も書き換えたり戻したりしてるのですよ。ビルボもこんな風に言葉をためしていたのでしょうかねえ。

すると海のかなたの別世界から
夜中に烈風がたちまちおこった。
これ、タルメネルの強風で、
死神のふきつける息のように、
定命の者の通らぬ道へと
刺すような風が、かれの船を運んだ。
絶えて航く者のない灰色の荒海を
今度は東から西へとかれが流れすぎた。
」(『指輪3』旅の仲間 下1p47)
 さきほど「東風」について述べた箇所です。トールキン教授がビルボの作った詩にわざわざ東風のことを入れさせたように、空のことも入れさせたのです。ビルボのエルロンド卿やエルフたちへの好意が入っているのではないかなあ、なんて思ったりもします。トールキン教授の意図としては、ビルボの知識欲が強く、エルフの言葉を知っていることを示したかった、ヴァラールの意思のしるしを散りばめたかった、などがあるのでしょう。

 なので、ここで驚歎すべきはビルボの知識と視界の広さなのかなと思います。主語は道に伸びた影ですが、その上にある空、高層の世界を、エルフやアイヌアの目で見てきたかのようにさり気なくほのめかしているのです。小さなホビットがこのような高い視点、広い視野を得たのは、ガンダルフに誘われ冒険に飛び出し世界の広がりを知ったせいでしょう。伝承の大家エルロンドと彼が治める裂け谷のエルフらに教えられたせいでしょう。そのことは私たちのよく知る二つの物語に書かれています。

 ホビットは誰ひとり行ったことのない西の国へ旅立つのです。船に乗って。恐ろしくないはずがありません。『旅の仲間』にサムが舟を怖がる様子が書かれており、比較してみると『ホビット』でたるにしがみついて川下りをしたビルボの特異さ(水やふねをまったく恐れていない)が際立ちます。では、この詩に書かれている海への憧れとも取れる描写はビルボの強靭さと好奇心からくる新しい冒険への期待のみによるものでしょうか? 詩の続きにその答えはかかれています。

"
Shi, my ship!
I seek the West,
and fields
and mountains
ever blest.
"(BLSp28)


船よ わたしの船よ!
さあ 西をめざして
いこう
幸いに満ちた野山が
待っているから
」(別れの歌)

 海の向こうに西方王土がある、そのこと自体をビルボはガンダルフやエルフたちから教えられたのではなかったでしょうか。ビルボがこの船出に不安を抱いていないのは、彼らと彼らの言葉を信じているからなのではないでしょうか。それは知恵と呼ばれるものです。

 物語の最後の船出の部分はサムの視点で記されており、この旅はホビットたちの永遠の別れなのだ、せっかく皆が幸せに暮らせると思ったのに、と読者である私もサムのように嘆いてしまうのですが、この詩はビルボの心の勇ましさと知恵と好奇心とがきっと悲しみを乗り越えさせてくれることを教えてくれるのです。ビルボの薫陶を受けフロドと共に苦しい旅をしてきたサムが乗り越えられないはずがありましょうか?

 この詩は次のように終わります。

"
Farewell to
Middle-Earth at last,
I see the Star
above your mast!
"(BLSp30)

ついに さらば
中つ国よ
帆柱の上に
かの星が見える!
(この部分は日本語訳が手元にないため、私訳です(つд⊂))

"at last"を訳するにあたり、英単語の正しい使い分けを勉強してすっきり英会話を参考にしました。英語が苦手なので、たびたびこういった確認が必要なのです。

「at last : とうとう、やっと
 長い間、努力や我慢を重ねて、ようやく何かが起ったり達成できたり
 したときに用いる表現です。
 この表現は良いことが起ったときに使うもので、嬉しいと感じている
 ニュアンスを含んでいます。」

 そう、この旅立ちは良いことなのです。ビルボとフロドは中つ国を安らかにするために大きな犠牲、自分自身を捧げたそれゆえに西の国へ渡ることができるのです。彼らは恐ろしい力に傷つけられはしましたが、だからと言って怯えて安全な場所へ逃げ去るのではなく、自身の選択と権利によって浄福の国へ行く、この詩はそのことを改めて私たちに伝えてくれるのだと思います。


おわりに
 この記事は『Tolkien Writing Day』の主旨に賛同して書きました。初心者である自分向けに、本来なら割愛すべき部分まで細かくメモを書いたので読みづらくなってしまい、申し訳ありません(;・∀・)以前に読んだ時よりはわかることができたと思います。HoME読書会で煉獄について学んだことなども結論に影響を与えたかと思います。Tolkien Writing Day企画者のsayawen氏とすべてのトールキンファンの皆様に感謝いたします。
ヽ(*´▽`*)ノ

2016年4月8日追記
 別れの歌の「湾曲する空」"bending sky"とシルマリルの「円い空」"round sky"が原語で表記わけされていることを確認しました。
"In the twilight of autumn it sailed out of Mithlond, until the seas of the Bent World fell away beneath it, and the winds of the round sky troubled it no more, and borne upon the high airs above the mists of the world it passed into the Ancient West, and an end was come for the Eldar of story and of song."
(The Silmarillion)

 誤字を修正しました。
誤→正
LOAD→LORD
イラストの引用箇所→イラストの参照元
湾曲した空→湾曲する空、世界が湾曲させられたと同じく湾曲させられ、今なお湾曲する空
記憶道→記憶の道
知識と探求心→知識欲

f:id:momomomo1232:20160409000921j:plain

 日本語版届きました〜。゚(゚´Д`゚)゚。

2016年4月12日追記

 以前よりツイッターでフォローしていたエルフ語ボットのペンゴロド氏のツイートによりmenelが天蓋と訳されていることを知りRTしたところ、出典や記述のある文書についての情報を教えていただきましたので、経緯を載せておきます。関係者各位、ご教授及び掲載許可ありがとうございました。

A Elbereth Gilthoniel o menel palan-diriel le nallon si di-nguruthos! ああ、エルベレスよ、星々を輝かせる方よ、天蓋よりはるかな眼差しを向ける者よ、汝に今死の恐怖の下にいる我は叫ばん!
ペンゴロド (@pengolod_bot) 2016年4月9日

twitter.com

 ペンゴロド氏(@pengolod_bot Pengolod_bot)は1時間ごとに登録された文章をつぶやくタイプのボットなので、このツイートを目にしたのは本記事をアップした数日後のことでした。『指輪物語』と『追補編』に出てきた詩は調べたつもりだったけれど日本語訳があったのを見落としていたのか…? と、確認しているところへカメハメ氏((@Katsuobushield Days of Sadden Flame PartIV)より、出典は伊藤盡先生の『『指輪物語』エルフ語を読む』(青春出版社・絶版(T_T))であることを教えていただきました。

@momomo1232 伊藤先生の『エルフ語を読む』にある訳文ですね。『二つの塔』の「サムワイズ殿の決断」でサムが思わず口にした歌ですけど、本編ではエルフ語の文のみで訳文は出ていないので、伊藤先生が訳されたのかもしれません。
— カメハメ (@Katsuobushield) 2016年4月9日

twitter.com

 伊藤准教授はPJの映画でも辺見葉子教授、高橋勇準教授らと共にエルフ語の監修担当されています。(映画『ホビット:思いがけない冒険』でのお仕事|ブログ|伊藤 盡|教員紹介|信州大学 人文学部)『中つ国サーガ読本』(洋泉社)で触れておられた『フーリンの子どもたち』日本語版の出版はどのような状況なのでありましょうかソワソワ。

 サムはエルベレスの歌を裂け谷で聴いていたので、この場面で口をついて出たのですが、正確には裂け谷で出てきた歌とは少し違う…短縮バージョンというか細部まで記憶してなかったような感じになっています。ぐう細かい。

 『エルフ語を読む』復刊ドットコムに登録されています。
『『指輪物語』エルフ語を読む(伊藤盡)』 投票ページ | 絶版・レア本を皆さまの投票で復刻 復刊ドットコム
 よろしくお願いします。

 そして翌日、disp(t)氏((@mithrimnemui)より"Parma Eldalamberon"のmenelの項に"the heavens, apparent dome of the skyとの記述があることを教えていただきました。

 "Parma Eldalamberon"(Eldalamberon Home PageEldalamberon Home Page)はエルフ語の研究誌なのですが、これも17号(17巻?)は絶版です…。zushio氏のブログParma Eldalamberon 17 - 続・トールキン関連本を読む ( トールキン作品のネタバレ有 )に詳しいです。

@Katsuobushield @momomo1232 Parma Eldalamberonの17にmenelの項目があって、the heavens, apparent dome of the skyてのがありましたです。
— dispt (@mithrimnemui) 2016年4月10日

twitter.com

 apparent dome of the sky…半球の見かけの空…天蓋、円い空ですねえ。

 HoMe4"THE SHAPING OF MIDDLE-EARTH"のp243~251に教授の描いた世界の図が載っています。(本記事を書いている途中エルロンドの名前の語源を確認するために11巻を買ったつもりが空の形のことばかり頭にあったので4巻を買ってしまったんですが、思いがけず役に立ちました。)世界が湾曲する前の図は虚空Kuma(uの上に')の中に球状の層になった世界があり、外側から外なる海Vaiyaヴァイヤ(『シルマリル』ではエッカイア)、その内側にひとまわり小さい光Ilmenイルメンの層、さらにその内側にある球体の上半分が空Vistaヴィスタで下半分が地盤ambarアンバー、このヴィスタがドーム状の天空です。この図どこかで見たなあと思ったら『「中つ国」歴史地図』の概論(p9)にありました。こちらは線も名称も整理されていて、わかりやすいです。さて、これらの図を見ると世界が湾曲した後の空は、湾曲したといえば湾曲してるのだけれど、どちらかといえば延ばされたような印象もあります。半球状だったものが球体を覆うようになったわけですから。しかし世界が湾曲するのに伴い空が変形したのであればやはり「湾曲する空」とするのが正しいな、と思います。もし「延びた空」などという表現にしてしまうと、この世界の歴史からは遠ざかってしまいますよね。で、湾曲する前とした後どちらも空が世界を覆っていますので形は変われども円い天井がそこにあります。我々の頭の上のずっと上の方に。

 地形のことはいずれまた『HoMe』を読んで考えてみたいですが、とりあえず今回の記事の更新はこれで終わりにしたいと思います。(新情報が出てこない限りは!)というのも、次なる読書会が控えているのです。disp氏(諸事情により現在はdispt氏(@mithrimnemui))主催のHoMe読書会に参加する予定なのです。あとがきにも書いていたHoMe読書会とは? 簡単な説明をさせていただきます。

 トールキン教授の没後、息子でありトールキン研究者であるクリストファー教授が中つ国関連の遺稿を整理し、中つ国の創世記から指輪物語の時代までをいくつかの物語にした『シルマリルの物語』、物語として完結はしなかったものを部分的にまとめた『終わらざりし物語』、そしてそれらに入りきらなかった初期草稿や設定、地図などのメモをまとめた『The History of Middle-earth(中つ国の歴史)』(HoMe)を出版しました。『HoMe』は3分冊と12巻本とありまして、書き込んだり付箋を貼ったりするなら12巻本の方が安くて良いです。紙質はそんなによくありませんが気楽に扱える利点もありますし厚さの割には重くないので持ち歩きもできます。各巻の内容を知りたい方は読書会のサイトからまとめに飛べますのでそちらを参考にしてください。紹介しているサイト様もたくさんあります。たとえば指輪物語の草稿部分だけ読みたい方はシルマリルを読まずにいきなり『HoMe』に行くルートもありなのです。1巻から順番に読まなくてはならない性質のものではないので。おすすめは9巻『SAURON DEFEATED』のエピローグです!

 期間中に毎週『HoMe』の決められた範囲をみんなで一斉に読んで考察したり感想を言ったり疑問をつぶやいたり絵を描いたり…というのがHoMe読書会です。こりゃすごい! だの、ここまで読めた、だのつぶやくだけでも他の方の刺激になって参加者の読書欲が増進されますから、知識がないとついていけないのでは…という心配はいりません。不安なら早めに予習しておくのもありです('v')
 読書会のテーマは第一回目が「ゴンドリンの陥落」、第二回目「アスラベス、フィンロドとアンドレスの問答」でした。煉獄についての話があったのもこの二回目です。そして次回第三回目のテーマが「フィンウェとミーリエル、フェアノールのシボレス」となっております。この辺は『シルマリル』の該当部分を読んでから『HoMe』にいった方がいいでしょう。5月中旬頃開始予定、第10巻"MORGOTH'S RING"のThe Eariest version of the story of Finwe and Mirielフィンウェとミーリエルの話の最初期版、p205~233と第12巻"THE PEOPLE OF MIDDLE-EARTH"のShibboleth of Feanor フェアノールのシボレス、p332~366を読みます。興味のある方はこの機会にぜひ一緒に読みましょう。

 誤記の訂正です。
誤→正
フェアノールの慣習→フェアノールのシボレス(合言葉、符丁といった意味合いの言葉)
なお、この誤記(誤訳)は私個人のミスであり、読書会の主催者様や他の参加者様の関与はいっさいございません。かさねがさね申し訳ありません。


2016年6月15日追記

 英語たん@eigotanさんのツイートで聖書の中の東風に特別な意味があることを知る。

https://twitter.com/eigotan/status/742759300741758978

 取り急ぎ、検索しました。

 聖書検索-「東風」を探す
http://words.kirisuto.info/%E6%9D%B1%E9%A2%A8-srch.html

→確かに災厄をもたらす記述が多い、モーセのために海を割った時以外はほとんど悪いことか起きている?

 映画に見る聖書〈ショコラ〉
http://www.shimizugaoka.com/blog3/2012/03/12/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%81%96%E6%9B%B8%EF%BC%9C%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B36%EF%BC%9E/
 ブログの概要
http://www.shimizugaoka.com/blog3/about/

→東風には神の審判の意味がある、と。なるほど、マンウェの裁定につながる…。トールキン作品の中で吹く風について調べてみるのも面白いかもしれませんね。