往きて迷いし物語

もるあきがトールキン教授やPJ監督に翻弄されるブログ・『この世界の片隅に』備忘録

なぜゴクリ(ゴラム)を好きなのか考えてみました

トールキン Advent Calendar 2016』に参加しようと意気込んだものの、まとまらなくてグダグダしてしまっていた記事です。素敵な企画をありがとうございます。
http://www.adventar.org/calendars/1583/

"The Hobbit Facsimile First Edition"(ホビットの初版本の復刻版、暗闇のなぞなぞ勝負の筋が違う初期版)のネタバレがあります。


 小説『ホビットの冒険』、同じく『指輪物語』、映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作とトールキン坂を登ってきた私の一番好きなキャラクターはギムリですが、ゴクリもかなり好きです。
 ホビットを読んだ時はこれ(!)が指輪物語にまで出てくるとは思っていなくて、なかなか気持ち悪い生き物だなあ、と思っていたように記憶しています。エルフや神秘的な存在から与えられるのではなく、こういう生き物がずっと持っていた指輪を拾って我が物にするシチュエーション自体薄気味悪い心地もしていたかもしれません。その後指輪物語に出てきた時、フロドとサムの道連れとして登場した時には不穏な予感しかなく、あのただでさえ苦痛の多いフロドの旅路にあってゴクリの存在にはうんざりしましたし道案内が必要だから消えていなくなってもらっては困るしで、あの悲しい結末にはほっと安堵さえしました。小説を読んでいた当時は今よりずっとネガティブな精神状態だったもので、あそこまで指輪に囚われてしまったゴクリが救われるにはああいう形での解放以外もうどんな方法もないように思えたからです。その後、ガンダルフはゴクリをも助けようとしていた、という指摘をインターネットで拝見し、はっとしたものの、ガンダルフ特に白い方は俯瞰でものを見られる存在だからなあ…と片付け、最初の読書後の私自身のゴクリに対する感情は同情も少しはありつつ、嫌悪がまさっていたように思います。

 好きだと気づいたきっかけは三部作映画の二作目『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』のエンディングテーマ、エミリアナ・トリーニ氏が歌う『ゴラム・ソング』でした。作曲は劇中音楽を手がけたハワード・ショア氏、作詞は脚本に携わったフラン・ウォルシュ氏という隙のない布陣。共同脚本のフィリッパ・ボウエン氏いわく、フランは「曲を聞いたら自然に歌詞が浮かんできた」と言っていたと。アイスランド系のトリーニを起用したのは英語とは異なるアクセントがゴラム(ゴクリ)らしさを表現するだろうことを期待した、とはショア氏の言葉です。(『二つの塔』エクステンデッド版特典映像「音と音楽」より)そしてあの美しく物悲しい歌が映画の最後に流れることになったのです。
 『二つの塔』はレンタルかNHKBSで観たのだったかな、面白いけれどとにかく長くって、内容もどんどん暗くなっていって(救いが全くないのではなかったけれども)ああやっと終わる…と、くたびれていたところに訳詞の字幕が飛び込んできて、最初は「これは誰の気持ちを歌ったのだろう…?」と訝しみ興味をひきつけられ、ハッとゴラム(ゴクリ)の歌であることに気づき、歌詞に紡がれたゴラムの深い悲しみと渇望に触れて、胸が苦しくなるほどでした。それ以来ゴラム(ゴクリ)のことが好きです。

 第一印象や描写の表面的な部分から、自分を取って食おうとしていたゴクリに同情するのはビルボがあんまり心優しすぎると思いましたし、ガンダルフがゴクリを憐れな奴だと言うのも灰色の彼でさえ並の人間よりずっと慈悲深くて、フロドもとびきり心が広く、サムだってずいぶん寛大に見える…なんて理由をつけて自分がゴクリ(ゴラム)を好きになるのを拒んでいたのですが、あの悲しげな歌声と歌詞が切なさと深い悲しみを訴えかけ私の中の「情け」を引きずり出してしまったのです。自分はそんなに立派でないから情け深い存在にはなれない、と思い込んでいた節があるのですが、歌をきっかけに、別に立派でなくても誰かや何かを憐れむ気持ちは持っていいんだ、と。むしろ何かのきっかけでゴクリのようにこそこそとしたずるい存在になるかもしれない自分だからこそ親近感を持って愛せる道を照らしてもらったような気がします。

 それより前からアンディ・サーキスの素晴らしい演技や、まるで本当に生きて存在しているものを撮影したかのようなCG処理の巧みな演出にもだいぶやられてはいたんですが、『ゴラム・ソング』がなかったら、私は長い間ゴラムのことを内心ではかわいく思い、自分に通じるものを感じながらも嫌悪しなくてはならないモヤモヤしたおかしな状態のままだったでしょうね。フロドにしぶしぶ従ってみせながら指輪を取ることしか考えていないゴラム(ゴクリ)に愛情を抱くことにためらっていた私自身が映画と音楽によって解放され、フロドやサムを応援し好きでいながらゴラム(ゴクリ)を可哀想だと思っていいんだ…愛しいと思っていいんだ…と、物語の複数の登場人物たちを同時に様々な感情から見ることができるようになったのです。ホビット庄から出たことのなかったサムがやがて灰色港から出発する船を見届けて帰って来たかのような飛躍…とまではいかないのですが、少しだけその翼のはじっこにつかまらせてもらって前より少し高いところから見られるようになったとでも言いましょうか。
 真に面白い物語というのはすじだけを追っても面白く、細部の様々な仕掛けに気がつくとなお面白く、視点を変えて楽しむこともできる、というのをここ何年か映画を観てたびたび実感しているのですが、『ホビットの冒険』『指輪物語』もまさにそのような作品で、その映像化作品である『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズが私の目を開いてくれたのは当然の結果とは言え、幸いなことでした。

 今年は"The Hobbit Facsimile First Edition"(ホビットの初版本の復刻版、暗闇のなぞなぞ勝負の筋が違う初期版)のなぞなぞの章を読みました。負けたゴクリが贈り物として指輪をくれようとしたけれどもその前に洞窟で落としたのをビルボが拾っていたので贈り物のかわりに洞窟から出る道を教えてくれる、という話だったのですが、ゴクリがバギンズを恨んだり盗人と罵ったりしないものだからビルボがよけい悪く見えるという…ビルボの暗黒面の描写はとても好きなんですけれども、反動でゴクリが妙に公正な――独自の判断基準で動いているけれど誰かに対して恨みや怒りを抱いていないキャラになってしまっていてちょっとつまらない感じなんです。小説を初めに読んだ頃ならこちらのいいやつキャラのゴクリの方が感情移入はしやすかったと思うんです。しかしそうするとなんで指輪棄却の旅に同行するのかの動機が薄くなる上に終盤の展開が今以上に割り切れない辛いものになってしまいます…このゴクリなら道を誤らないかもしれない…。しかしこそこそした気持ち悪いゴクリの方が物語が面白くなるし、指輪の恐ろしさを最後の最後に実感できる効果もありますし、ビルボの感じた「情け」を味わえるので良いと思いました。なんだかんだ最初に触れたものを最良と思ってしまいがちではありますが。

 後に『シルマリルの物語』の読書を薦められた際に、あの世界では神々やエルフが奏でる音楽や言葉に特別な力があるという設定を教えられて、それはすごくファンタジーだな…、と思っていたのですが、何のことはない、私も歌に魅了されて中つ国への道を踏み出していたのです。映画のスタッフ陣がトールキン世界のそんなところまで再現していたとはまさか思いもよりませんでした、というオチにて、しめさせていだきます。
 読んでいただいてありがとうございました!

音声ガイド・UDcastとは

 UDcastとは
http://udcast.net/index.html

 スマートフォンタブレットを利用し、通常の放送・上映では伝えられない情報を伝えるためのサービスです。

 例えば映画『この世界の片隅に』では目の見えない・見えにくい方に音声で登場人物や風景のガイド説明をするバリアフリー上映を行っています。テレビ放送の副音声のようなものです。

 映画『この世界の片隅に』公式サイトの劇場情報のページに説明が載っています。

<『この世界の片隅にバリアフリー上映のご案内>
日本語字幕付き上映、音声ガイド上映を一部劇場にて実施致します。
※一部対応していない劇場もございます。あらかじめご了承下さいませ
【日本語字幕付き上映】
耳の不自由な方に映画を楽しんでいただけるよう、日本語字幕付きの上映を実施致します。通常通り音声も出ますので、一般の方もご鑑賞頂けます。
【音声ガイド付き上映】
UDCast方式による音声ガイド上映を実施致します。
UDCastとは、「見えない」「見えにくい」方が、いつでもどこでも日本映画が楽しめるよう、携帯機器(スマートフォンタブレット端末)とイヤホンを使って音声ガイド付きで鑑賞して頂けるシステムです。
■『UDCast』の詳しい説明はこちら(http://udcast.net/index.html
■動作確認はこちら(http://udcast.net/demo.html

 映画『この世界の片隅に』ではもっぱら音声ガイド用に使われていますが、公式サイトによると音声情報だけではなく字幕や別角度からの映像を本編映像に対応させてスマホタブレット端末に表示できるサービスなのです。
 複数の言語に対応しており、DVDやBDの特典サービスとして活用されており、コミケ会場であるビッグサイトでも使用されているということなので、映画や舞台鑑賞、ライブが好きな人間は知っておいて損はないサービスではないでしょうか。
 美術館や博物館でも使えるようになるみたいですね。英語のヒアリングはできなくても文字情報なら何とかなる人も海外イベントでこういうサービスが利用できたらいいですよね。
 字幕眼鏡も今はまだ高いですけど、近い将来に映画館で貸し出しサービスなど利用できたら嬉しいです。


 アプリを入れておけばインターネット環境がなくても災害時等に使えるということで、個人的にパニック時には音声より文字情報の方がありがたい、と試しにアプリをダウンロード、動作確認してみました。何度か試して動作確認はできたものの、災害情報のデモはありませんでした。これは本番に取っておきます。本番は来ない方がいいのですが、備えとして。


 音声ガイドも話題になっていてどんなものか気になっていたのでデモ動画を見てみました。

 スマホにイヤホンを差し込み、UDcastアプリの「動作確認」からデモ動画『絵の中のぼくの村』を選択し、音声ガイドの文字に触るとデータがダウンロードされ、音声ガイドモードの画面に切り替わり、少し待つと音楽と「本編が始まると音声ガイドが始まります」と音声が聞こえてきます。別の端末で『絵の中のぼくの村』を再生すると、動画のガイド音声が聞こえてきました。背景や登場人物の動きなどを説明しています。「教室の後ろの壁に絵が貼ってある」とか「廊下を歩いてくる」みたいな感じです。ガイド音声は台詞にかぶらないように気を配ってあるので、聞き取りやすかったです。

 ガイドを聞いてわかったことは、私は固有名詞を聞き取るのが苦手だな…ということです。他の言葉はわかるのですが、名前だけが極端に聞き取りにくいんです。なので、私がこのサービスを利用することになったら主要人物の名前を前もって調べておかないといけないですね。


 日本初のバリアフリー映画館、シネマ・チュプキさんでは、座席にイヤホンジャックがついていて、スマホタブレット端末を用意しなくても音声ガイドが聞ける仕組みがあります。
 水原さん役の小野大輔さんがガイドの声を担当している『ソング・オブ・ザ・シー』はすごく評判がいいので行ける距離ならなら観に行きたいです。障碍のない方にもたくさん来てほしい、という企画です。

CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)
http://chupki.jpn.org

シアターの特徴
http://chupki.jpn.org/gallery

小野大輔さんのファンと共に映画館を変えたい
https://coubic.com/chupki/357286

シネマ・チュプキで音声ガイドを使って鑑賞されたvoldenuitさんのツイート





◇ 広島国際映画祭2017
この世界の片隅にバリアフリー版の上映決定 2017/8/9
http://hiff.jp/archives/3579/
 会期は11月24日~26日、『この世界の片隅に』のスケジュールはまだ出ていません。


◇家庭で使ってみてわかったこと、気になったことを書いてみます。

 字幕や音声ガイドのデータは映画館でなくてもダウンロードできるみたいです。「映画・映像」の「音声ガイド」の作品一覧でタイトルを押したらダウンロードが始まったので、たぶん…。

 スマホタブレット端末を一定時間操作しないと電源が自動オフになる設定にしていると映画の途中で切れてしまうかもしれません。電源がオフにならないように設定し直しておくといいです。

 使い方のページにスマホ機内モードに設定するよう書いてありました。
 これを設定すると電源はついているが通信はできない状態になり、上映中にニュースやメールを受信してうっかり点滅する事故はなくなりますね。

 映画が始まったら音量の調整以外で操作をする必要はないので、光漏れしない暗い色か厚めのカバンなどに入れて膝に乗せて置くといいのではないでしょうか。

 UDcastにはスマホに字幕を表示するサービスもありますが、『この世界の片隅に』が対応しているのは音声ガイドだけでなので、上映中にスマホの画面が眩しくて周りの人の注目を集めるような使い方にはならないと思います。
 日本語字幕付き上映も回数増えるといいですね…( ˘ω˘)

 イヤホンは音漏れしにくくてコードの長さにも余裕のあるものがいいですね。

 『この世界の片隅に』封切り上映時は音声ガイドは全館対応だった気がしますが、上映館が増えてきたので対応していない映画館もあるみたいです。行かれる方は気をつけてください。

 美術館や博物館で展示を鑑賞途中、一時停止・止めたところから再生・スキップはできるのか? 未体験なのでよくわからないです。

 アプリのインストールから動作確認までするのは少しハードルが高いかもしれないです(個人差があるかもしれない…)。自分ではできなかったけど映画館の人に設定をしてもらって音声ガイド付きで映画を鑑賞できた、という話を見かけました。
 今回自分で試しにアプリをいれてみたことで、将来の自分や家族や友人知人はたまた映画館で居合わせた人を手助けできるかもしれないです。


 このアプリ、こう色々すれば舞台のマルチアングルや日替わりアドリブネタにも対応できる、かなりすごいサービスになり得るんですよね…劇場の空気感は味わえないまでも…。

 またわかったことなどありましたら追記・訂正します。

(2017年1月19日 追記)
 一部の映画館でFMラジオとイヤホンを使用して音声ガイドを提供する取り組みをしているようです。端末機器を持っていない方に対応した素晴らしいサービスですね。

おすすめトールキン関連書籍

 Tolkien Writing Day(http://bagend.me/writing-day/)第三回開催おめでとうございます。二回目は残念ながら不参加でしたが、皆様の素敵な記事を読むことができて楽しかったです。素晴らしい企画をありがとうございます。


 今回はおすすめのトールキン関連書籍、『中つ国の歴史』こと『HOME』9巻(The History of Middle-Earth Sauron Defeated)の「第三紀の終わり」の「エピローグ」について書きました。英語が不得手な私が要約したものですので、少しでも興味があるならば是非ご自分の目で原文を確認されることをおすすめします。
https://www.amazon.co.jp/Sauron-Defeated-Third-History-Middle-Earth/dp/0261103059

 J・R・R・トールキン教授の執筆した草稿やメモ書きを、トールキン研究者であり息子でもあるクリストファー・トールキン教授がまとめて出版した遺稿集のうち、指輪物語を扱ったシリーズの最終部分にあたり、物語の最後でフロドを見送り袋小路屋敷に帰ってきてから十数年後のサムの話です。
 『HOME』読者には「幻のエピローグ」として知られるこの話に書かれたサムの思いや、物語を推敲・編纂するに当たってのトールキン教授の意図についての考察・感想は多くのサイトやブログの記事で読むことができます。
 私はサムのことも好きなのですが、今回は大好きなギムリレゴラスのエピソードを取り上げます。同じ本を読むのでも個人やその時の気分によって色々な読み方、楽しみ方があることを伝えられたら、と思います。


 ある3月の晩に袋小路屋敷の書斎でサムが語る旅の仲間のその後の話、そして…。子どもたちに囲まれて話をするバージョンと、愛娘エラノールと会話しながら子どもたちの質問とその答えのメモを紹介するバージョンとあります。

 中でも私が特に好きなのが、ギムリがゴンドールに来たって王となったアラゴルンのために働いた話です。『指輪物語 王の帰還 上 九・最終戦略会議』(評論社文庫版参照)で、ギムリが「アラゴルンが当然受くべきものを受ける時が来たら、わたしはかれにはなれ山の石工たちの奉仕を提供しよう」とレゴラスに言い、また別の場面でアラゴルンが、破壊された城門を見て「もしわれらの望みがことごとく滅び去ることがなければ、その時はやがてグローインの息子ギムリをかの地に送ってはなれ山の石工たちを招請しよう」と言った、そのことが実行されたのです。ドワーフは約束を違えることはないのです。ちなみにレゴラスもゴンドールには「庭が必要だ」として、イシリアンに移住しています。

 ここから先が『追補編』とは違っていて、ギムリと彼の種族(はるばるゴンドールへ南下した、はなれ山の民の一部)は長きに渡り(都市再建の)仕事に取り組み、その誇らしい仕事が終わった後にはミナス・ティリスの西の白の山脈に住んだということです。このバージョンではギムリは燦光洞を一年おきに訪れたことになっています。

 クリストファー教授が解説で示した草稿には「白の山脈のミナス・ティリスからそう遠くない地に住んだ」ともあります。しかしギムリが友であるアラゴルンの拠点であるミナス・ティリスの近くに居を構えた設定は、残念ながら没になりました。『指輪物語 追補編』ではギムリと彼の民は「サウロンの滅亡後、ギムリはエレボールのドワーフ族の一部を南に連れてきた。そしてかれは燦光洞の領主となった。かれとかれの民はゴンドールとローハンですぐれた仕事を数々行った。ミナス・ティリスのためにかれらは、魔王によって粉砕された城門の代わりに、ミスリルと鋼の門を作り上げた。」(『追補編』A-Ⅲ)と変更されています。変更された理由については言及されていないのですが、考えるに、ギムリアラゴルンだけでなく、ローハンのエオメルとの結びつきを強固なものとしたかったのでしょうか。
 なお、ギムリが土木工事や建築の面のみならずアラゴルンの仕事を助けていたことは『終わらざりし物語 下Ⅰあやめ野の凶事』に少し書いてあります。第三紀の中つ国に興味がある人は『終わらざりし物語』は下から読んでもかまわないと思います。『追補編』の次に読むのでもいいかと。上の方は第一紀と第二紀の歴史が書かれています。
 

 また「エピローグ」にはギムリレゴラスが自分たちの種族を連れてアラゴルンのいる南へ旅をし、ドワーフたちとエルフたちが共に連れ立つ様が素晴らしかったそうだ、という話もあります。サムはこの話をエオウィンを訪問したメリーから聞いているので、このように伝聞なのです。
 長くいがみ合っていた両種族が人間の統治する国へ向かって、戦うためでなくそこで働き住まうために一緒に旅をしただなんて、この上なく平和を象徴する光景だったことだろうと思います。
 中つ国から影の脅威が取り除かれドワーフとエルフが手を携えるようになるまでどれくらいの年月がかかったことでしょうか。そしてドワーフギムリとエルフのレゴラスの仲を取り持ったのがアラゴルンたちたくましくも礼儀正しい人間と、小さくて勇敢なホビットたちと思うと旅の仲間は本当に素晴らしい人選だったなあとしみじみ思います。もちろん、魔法使いのガンダルフのことも忘れてはいけませんね。

 『HOME6』に書かれていた、初期の設定ではエルフのグロールフィンデルやエレストール、ドワーフではバーリンの息子ブリン(またはフラール)が仲間になる案もあったようですが、彼らが背負うものはたいへんに重たいですね。もし彼らが旅の仲間だったとしたら、道中、ケレド=ザラムを見なくては! とフロドを誘ったり、ニムロデルの歌を歌ったりしてくれなさそうな、本人たちの意図とは無関係にその明るい振る舞いがホビットや読者を元気づけてはくれなそうなメンバーです。何ならバルログと戦ってガンダルフを危機から救ってしまいそうな印象もありますが、彼らには彼らにふさわしい役目があり、我々の知るホビットが主役の物語にはあまり詳しくは書かれなかったのです。出番がなくなってしまったドワーフもいますが、物語を完結させるために必要な過程だったのかもしれません…。

 『HOME9』に戻りましょう。
 ケレボルン殿は木々の間でエルフらしく幸せに彼の土地で暮らしているだろう、まだ彼の時は来ていないが、中つ国に倦んだらいつでも旅立つことができる、レゴラスもいつか海へ行くだろう、ギムリがいる限りは留まっているだろうが、という話もあります。
 『追補編』を読まれた皆様がご存知のように、アラゴルンが亡くなった後、レゴラスギムリを連れて西へと旅立ちます。
 私にはエルフの気持ちを理解するのはとても難しいのですが、エルフはうんと長命ですから、いつか会いに行かれると信じているならばガラドリエルと別々に暮らすのもケレボルンにとっては直ちに胸が張り裂けるほど辛いことではなかったのかな? と思いました。これを読む前に思っていたよりは辛くなさそうで安心しました。
 鷗の声に心を奪われながらも定命の友と離れがたく中つ国に留まり続けるレゴラス、大いなる脅威もなく簡単に命を落とすことのなくなった世で待つことができる、という気質はケレボルンと似ているのでしょうか。エルフ全般がこうではないにしても。
 
 『追補編』の話になりますが、レゴラスが自分と同じ名(エリン・ラスガレンすなわち緑葉の森)を新たにつけられた森から出たことは私自身もしばしば冗談半分に語ってしまいがちです。しかしこうして『HOME』を少しばかりめくってみれば、レゴラスの移住はただイシリアンのその土地を気に入っただけでなく、アラゴルンギムリへの友情があったればこそ、と考えるのは当然です。
 レゴラスの父であるエルフ王も、ケレボルンのようにエルフらしく自分の愛した土地で暮らすことに喜びを感じたのではないか、と想像を巡らせますと、父王の手に何の妨げもなく愛することのできる、やがて美しさを取り戻すであろう森が戻ったのを知ったレゴラスは安心して森を出たのではないかと。無論これは人間である私の想像でしかないのですが、レゴラスがミナス・ティリスや燦光洞に住まなかったために彼らへの友情が目減りしないように、緑葉の森に住まなかったために親や同胞への愛情が減じることもないと思います。むしろ旅を通して成長し独立するという、人間に近い適応をしたのかもしれません。
 レゴラスは『指輪物語』に出てくるエルフの中でも飛び抜けて風変わりな印象が強いのですが、少し変わった表し方をしているだけで彼なりに愛情深いキャラクターなのだと思います。それだから私はレゴラスのことが好きですし、もう少し人間に近い感情表現をしてくれるギムリのことは大好きなのです。


 かなり偏ったエピソード紹介になりましたが、没にされたり出版されるに至らなかったとは言え、『HOME』には『指輪物語』や『ホビット』、『シルマリルの物語』の原型や、物語の隙間を埋めるものがあることが伝えられたでしょうか。
 『HOME』9巻にはフロドとサムのモルドール行から「エピローグ」まで、何度も何度も修正されて出版に至った草稿から、本編とまるで違っているエピソードが多数収録されています。特にサルマンの最後が…。後半にはヌーメノールの原型となった話が載っています。「エピローグ」だけでもたくさんの面白い話(子どもたちの興味の先に、サムのエルフ語ミニ講座、アラゴルンの茶目っ気)や、しんみりするエピソード(飛陰は…、エントは…)が満載です。特にサムの話は前述の通り日本語サイト・ブログでも取り上げられていますので、是非検索して読んでみてください。また、原書を手にとって、『HOME』の楽しさを知っていただけたらと思います。
 ここまで読んでいただいてありがとうございました。
 

みんぱくでモンゴルのゲルに入ってきた

 吹田市にある国立民族学博物館に行ってきました。今年の3月にもいったのですが、その頃はまだ北アジアアイヌの新展示がまだ見られなかったのです。

 今回はモンゴルの移動式天幕型住居、ゲルを展示用に提供してくれた元住人のエンフバト氏と奥様のミンジン氏が来日されてお話をして下さるという企画に参加してきました。国立民族学博物館の併任教授の小長谷有紀氏が通訳と解説をして下さり、他にも通訳や記録、案内のために数人の方が携わっておられました。ありがとうございます。

 「おもてなし草原流」というテーマで、実際にゲルにお招きいただき、お茶やお茶請けのチーズ、お酒を(博物館の中なので飲食禁止のため空杯で…)いただきました。ゲルに入る際には、こんにちは「サィンバイノゥー」と声をかけ、男性は左側、女性は右側に着座します。参加者は女性が多かったので左側にも座ったのですが。
天井は布の上にフェルトを張りさらに布で覆ったもの、中央に竈の煙突を出すためと明かり取りにもなる穴が空いています。雨が激しい際には閉めることもできます。竈の両脇には二本の柱がありますが、これで天井を支えているのではなく、細い木を組み合わせた骨組みでドーム状の天井を支えています。
 この骨組みは折りたたんで運ぶことができます。
 では竈の両脇の柱は何のためにあるのか?と言いますと、竈の神様を守るための結界になっていて、その柱の内側へは入らないように…ということでした。

 モンゴルの遊牧民同士の社交的な会話は「おかわりありませんか?」に対して「いいえ、何もありません」と答え、平穏さを称えるというもの。とは言え、実は家族が亡くなっていたり病気であればその話はおいおい…、ぼちぼちしていくということです。

 お酒を振る舞われた際には薬指を軽くひたし、天・地・人に捧げてからいただきます。薬指は大事な指で、ヨーグルト作りの時に温度を確かめるのもこの指で行います。他の指は副交感神経、薬指には交感神経のツボが通っているのですね。先日魔法のアイテムはなぜ指輪なのか? なぜ薬指なのか?は調べて途中で放り投げていたのですが、思わぬところでヒントをもらいました。身体の機能はどのような種族であれ共通していますから、他の文化でも薬指が特別視される根拠はちゃんとあったのです。

 モンゴルには嗅ぎたばこの交換の習慣もあり、袱紗のようなきれいな布に包まれた小さな瓶を相手と交換し合い、瓶の中身を爪の上に乗せて鼻で吸い込んで匂いを嗅いだあと、瓶を返すというもの。
 これも参加者全員が実際にさせていただきました。たばこといっても火も使わずお香のようなとても良い香りのする液体が入っているようでした。ニコチン成分が含まれた刻みたばこと同じような嗜み方をするだけのものでした。とは言え、普通、子供はこの嗅ぎたばこは嗜まないということでした。

 他にも奥様のミンジン氏お手製の衣装を羽織らせていただいたり、放牧には馬だけではなく車も使っているお話をしていただきました。フェルトを丈夫にするために昔は馬で、最近では車で引きずるのだとか。長谷川町子さんの旅行記漫画で読んだことがありますが、絨毯も仕上げに人の足で踏んだり車で轢いたりすることで風合いが良くなるそうです。

 狼は家畜の主に子供を狙う害獣であり脅威であると同時に畏怖の対象でもあり、日中に狼と出会うことは吉兆とされているそうです。
 狼の肉は食べるのか?という質問に対し、同物同治の考えから体の不調のあるのと同じ部位を食べることがあると説明がされました。脳みその煮込んだものはカルボナーラみたいで美味しいそうです(✽ ゚д゚ ✽)
 また狼や家畜の踝の骨はお守りになったり、骰子にしたりするそうです。

 布や彫り物の細工も基本的には自分たちの手でするもので、得意な人にお願いしたり…でも、フェルト作りなどは売っているもので済ませる人も増えてきているそうです。

 まあまあテンパっていたので肝心のゲルの写真を撮り忘れるなどしました。

 たいへん興味深くとても濃い時間を堪能いたしました。エンフバト氏、ミンジン氏、国立民族学博物館のみなさま、ありがとうございました。 

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HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 三週目

 ツイッターネタはソヴィエトの子供番組のホビット。まだちゃんと見れてないです。早く見たい…。

@TomitaKentaroさんのツイート(https://twitter.com/TomitaKentaro/status/747555321640452097?s=09)をチェック

The 1985 Soviet TV Adaptation of The Hobbit: Cheap and Yet Strangely Charming(OPEN CALTURE)
http://www.openculture.com/2014/08/the-1985-soviet-tv-adaptation-of-the-hobbit.html

 そしてサウロンの第一紀の鎧です。綺麗です。

美しき悪の艶めき。「指輪物語サウロンの第一紀の鎧(ギズモード・ジャパン)
http://www.gizmodo.jp/sp/2016/06/first-age-sauron-armor.html

サイト;PRINCE ARMY
http://princearmory.com/project-writeup-first-age-sauron-armor/


 今回の読書会はフェアの性質と再生について。
 カメハメさんによるまとめです、いつもありがとうございます(-人-)

http://togetter.com/li/992853

 わたしはタグつけるまでもない話ばかりしています。

 マイロンが堕落した時クルモはショックだったろうなあと思うと同時に(
そういうのもあるのか!)とちらりと無意識にでも思ったりしたのかしら。悪の芽はどこにでも転がっているぞと。
 ちなみに今回の範囲に特にクルモやイスタリの話が出てくるわけではありません。

 アマンでホビットドワーフの死体はくさるのか? 朽ちない可能性なんて考えたことなかったのでお墓作る気満々でした。

 前から言われてるけどやっぱり人間の女性では半エルフの子供を産めないのかなーフェアの強さと関係あるのかな…。
※女性側が高位だと産める(マイアとエルフ、エルフと人間の組み合わせ)ようなので、子供が産まれなかったので記録には残らなかった人間とエルフのカップルなんかもいたのかな…?などなど。

 読書会は続く

 

HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 二週目

 まずはカメハメさんによるまとめです。いつもありがとうございます。
HoMe読書会第三回・第1部「エルダールの法と慣習」第2週
http://togetter.com/li/987197

 夏至の日にはTolkienWritingDayの二回目もありましたが、今回は不参加でした。しかし今回もまたとてもたくさんの興味深い、楽しい記事がアップされてありますので、まだ読んでいない方はどうぞご覧になってください。

http://bagend.me/writing-day/


 アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ!


 さて読書会の今回の範囲はエルフの名付け、そして死のこと。
 名前の種類がたくさんあって頭がパーンとなりかけていたところを、めれさんに解説していただいて何とかなりそうな気がしてきました。
 単語を分解した方が意味がわかりやすく、他と区別しやすくなりますね。

 以前さやうぇんさんが作っていた分類カードを真似て、自分でも作ってみました。もっとたくさん書けるバインダーの方がいいのかな? 今回の読書会はこれでやってみます。

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 ラマティヤヴェ、心地よい音についてぱっと思いついたのがティーティーウーでした…ムーミンの短編集でスナフキンにねだって名前をつけてもらったはい虫。声に出してみんなに呼んでもらいたい名前…自分の性質を反映していることが大事なのです(´∞`)


 フェアとフロンド(フロア)の関係は二回目の読書会、アスラベスで触れましたが、肉体を服や家に例えるのがわかりづらい(個人の感想です)

 キャラメイクゲームで考えると、こんな肌の色で髪型は〜とやってできたキャラクターがフロンド、登録するとフェアを得て動かせるようになるので名前をつけてあげよう。オンライン型なのでアルダが続く限り、サービスが終了するまでは半永久的に生きる。レベルアップはするけど老けない。
 しかしゲームのグラフィックが進化すると君のキャラクター低解像度だね…みたいになる(衰退)小さくなり、形を保っていられなくなる…。それでもメモリーとしてキャラクターは機能し続ける。

 敵と戦って傷ついたり、ゲーム内の災害や事故でヒットポイントがなくなるとキャラクターは死んだとして動かせなくなるが、メモリーとしてマンドスの館に記録される。
 綴織はキャプチャーや動画なので、このメモリーとは別の性質のものである。

 メモリーを元に新しく外見や特徴をそっくりにして、名前も同じキャラクターを作ることもある。二回目なので作るのはスムースに行くけど、レベル1からやり直すことになる…(# ゚Д゚)

 再生については今回の範囲ではなかったですね。まだちゃんと読んでないです。

 フェアーとフロンド(フロア)については以前dispさんに薦めていただいて『トールキンによる福音書』を買ったのでそれをよまなくてはな〜…と思ってはいるんです…。

HOME読書会第三回第一部 エルダールの法と慣習 一週目

 ついに始まりました!主催のdisp様や訳をしてくださっている皆様には感謝を申し上げます<(`・ω・´)

 カメハメさんがまとめてくださったトゥギャッターはこちら
HoMe読書会第三回・第1部「エルダールの法と慣習」第1週
http://togetter.com/li/981479

 私が最初に受けた印象が、フィンウェの再婚が早くてフェアノールが可哀想、というものでした。で、まとめでは私勘違いしたまま発言をしているけどこの15年はヴァラール暦(ヴァラール年)? およそ150年。

ヴァラール年(中つ国wiki)
http://arda.saloon.jp/index.php?%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B9%B4

 じゃあ父の再婚に傷つく小さなフェアナーロ(フェアノール)はいなかったんだ! と思ったけど、ミーリエルが眠りについてからヴァラール会議の結論が出るまで2年(およそ20年)、その間にフィンウェが再婚の申し立てをしたということなので。
 シルマリルの物語にフィンウェが「ミーリエルが幼いフェアナーロのそばにいてやれないこと」を嘆くシーンがある(この時のフィンウェはミーリエルが永遠の眠りを選択するとは考えてなかった様子)ので、やっぱりフェアノールが幼い頃〜少なくとも身体が大人と同程度に成長し結婚適齢期になる前に再婚したいと言い出したんですねフィンウェさん(u_u)

(※6月5日の追記
 dispさんより教えていただきました!
 ヴァラール年一年でのエルフの成長度合いは太陽暦一年に相当する、とのことです。
HoMe10のMYTHS TRANSFORMED,Amanに詳しく載っているそうです。

 また、悠樹さんより教えていただきました。
 子供が幼い頃母親がいないのは可哀想、ということに関してヴァラール会議や後の展開でヴァラールとミーリエルの意見が見られる、とのことです。
 ヴァラールの会議も読まなくては!追記ここまで)

 フィンウェさんが再婚したい理由がよくわからないまま(もっとたくさん子供がほしいという言葉通り受け取っていいのか)読んでいたので、他の方の意見が知れてよかった!
 でもやっぱりまだ自分の中では消化しきれてないので、時間があったらここ読むとこんなこと書いてあるんだよーと教えていただいた箇所も読みたいです。そのうち(x_x;)

 読書会の開始と前後してこういう記事が出てきたものだから、トールキン警察大喜利もありました。一番のトールキン警察はクリストファー教授だとか何とか。

指輪物語ファンが漫画家に激怒「ゴブリンやオークは変質者じゃない」
http://www.news-postseven.com/archives/20160528_416602.html

 またこれをきっかけにして「トールキンが物語を書いた意図」に関して様々な意見が飛び交った(未確認)ようです。

 一方私は「教授は神話としてのシルマリルの物語にどのような機能を持たせたのだろう? 心躍らせる素敵なお話という目的の他に」などと考えておりました。

 シルマリルの物語の神話としてのはたらきは、世界の成り立ちを語り、どのヴァラ、ヴァリエが何を司るのかを教え、世界が影に傷つけられたことを教えるものです。新たな法を作る時は神様たちも話し合って結論を出さないといけないとか、エルフも出産で亡くなるとか…。

 悠樹さんがヴァラール会議をまとめてくださったのですが、独裁は良くないからと公正であろうとすると合議制になり、しかしとても時間がかかりますね。意見のすり合わせをしようと思ってる人と自分の意見で相手を負かそうと思ってる人がいたりして…。
 創造主は法の細かいとこの改正まで面倒みてはくれないんです。そんな暇ないぐらい忙しいのかも。

 フィンウェとミーリエルとフェアノールのことが気になりすぎて、出産で母親が亡くなる神話物語の絵本をたまたま見つけて購読したりもしました。

 『くまののかみさま』というこの絵本、昨日からダイマしてるけど、これたぶん和歌山に行かないと手に入らないやつかもだ。

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 そして予習復習が進まないまま2週目に続くヽ(=´▽`=)ノ


修正・追記
×ミーリエルが永遠に眠りを選択する
→○ミーリエルが永遠の眠りを選択する
 マンドール(マンドス)の館で傷を癒やし憩っていたミーリエルの魂は離婚争議を経てその後ヴァイレの下でフィンウェやノルドールの歴史を記した綴織を織っている。
 と書くと何だか、生きる肉体を放棄した罰を受けているようにも感じられる。後妻と子どもたちのことを綴るのはまだしも、フィンウェの死やアルクウァロンデの同族殺しを(ヽ´ω`)

×ヴァラ、ヴァイレ
→○ヴァラ、ヴァリエ

6月5日の追記
 本文中の該当箇所にも挿入しましたが、ブログを見た読書会メンバーの方々よりご指摘をいただきました。フォローありがとうございます!

dispさんより
 ヴァラール年一年でのエルフの成長度合いは太陽暦一年に相当する、とのことです。
HoMe10のMYTHS TRANSFORMED,Amanに詳しく載っているそうです。
 次々に読みすすめなくては(;・∀・)

悠樹さんより
 子供が幼い頃母親がいないのは可哀想、ということに関してヴァラール会議や後の展開でヴァラールとミーリエルの意見が見られる、とのことです。
 ヴァラールの会議も読まなくては!


 くまののかみさま・熊野権現縁起・熊野の本地における異常出産

み熊野ネット>熊野の説話>熊野の本地
http://www.mikumano.net/setsuwa/honnji0.html
 こちらのサイトに絵本より詳しい内容がありました。
 子供のいないマガタ国の王が信仰心の厚い五衰殿の后を寵愛し、やがて后は妊娠したが他の后たちが嫉妬し…という話です。
 京極夏彦の小説『姑獲鳥の夏』で異能の人物が異常妊娠を経て産まれる理由を説明するシーンがありました。めちゃくちゃ簡単に言うと、スゴイ人だから普通に産まれたはずがないと、語り継がれるうちにありきたりではない産まれ方を捏造されてしまうんですね。ものすごく長い妊娠期間を経たとか、有名なところでは脇の下から産まれたブッダとか。
 『熊野の本地』では他の后らに妬まれ迫害され異常に早い出産の後、母后は首を切られて殺されました。死体の乳を飲む赤子にはぎょっとしますが切なさも感じられます。本来なら待望の王子として祝福され誕生するはずだった赤子が産まれ方と言い育ち方と言い只者ではないことが示されています。

 シルマリルの物語が人間のそれも古い時代から語り継がれる伝説ということであれば、ミーリエルとフェアノールの話も後世に捏造された部分があり、その意図するところは…と読み解くやり方もあるのですが、エルフの歴史なのでたぶんそんな部分で盛られてはない…しかし教授の意図したものは何かあるはず…(´ω`)

コトバンク 熊野の本地(くまののほんじ)
https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E9%87%8E%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%9C%B0-831048

 異説もあり、こちらは動物と僧に育てられた王子が王を訪ねていくと母后が蘇るパターンも載っています。『熊野権現縁起絵巻』を元にした『くまののかみさま』でも母后は蘇っており、王は(嫉妬深い后たちのいる)国が嫌になって母后と王子、僧らを連れて安住の地をあちこち探して紀伊に落ち着いた、と。
 熊野に祀られている母后は伊邪那美(イザナミ/千手観音)、王子を育てた僧は家津美御子大神 (ケツミミコオオカミ/阿弥陀如来)、王が伊邪那岐(イザナギ/薬師如来)、王子は天照大神(アマテラスオオカミ/十一面観音)であるということです。神様の前世に仏様をあてはめて、さらに間に人間としての生を挟む本地垂迹ややこしい(T_T)

 だいぶ話が逸れてしまいました。まとめにも出てきていましたが、古事記日本書紀イザナミによるカグツチの出産、死の方がミーリエルとフェアノールに近いですね。イザナミの前世を五衰殿の后としてマガタ国に下った千手観音とすると、彼女(?)は二回も異常出産させられてるのか…異常出産しているから前世としてあてはめられたのか…(-o-;)

 参考:熊野本宮大社
http://www.hongutaisha.jp/about/

6月11日追記
 ヴァラール会議の部分を読み進め中(・∞・)悠樹さんのまとめのおかげで読みやすいです。ありがとうございます。

 HoMe10P257にミーリエルに関する描写。
 彼女の髪は銀のようで、彼女は草の中の白い花のようにほっそりとしていた…
 刺繍が得意なことはすべての原稿に共通して書かれているのかな? 彼女のセレンデあるいはセリンデという呼び名は刺繍を(よく)する人(女)、彼女にこの名前がつけられたと同時に歴史の綴れ織りを織る役目が課せられた…のかも。

 ミーリエルの髪の色が銀色なので、フェアノールの髪色にもその要素が混じっていて、鋼のように輝く黒髪が時折銀のように見えたらいいなあと思いました。

 会議は続く…(まだ読めていません(>o<))