こうの史代先生のサイン会に行ってきました
2017年4月26日、近鉄百貨店上本町店で行われたこうの史代先生のサイン会に行ってきました。『こうの史代作品展』が開催されるのでその初日に来てくださったのです。
展示は『夕凪の街 桜の国』から始まりましたが、後でゆっくりみようと次のスペースへ。『ぴっぴら帳』のカラー原稿に大興奮(*´`)服装の垢抜けなさからか作中では「オカメ」扱いされている(読者としてはまったく腑に落ちない!)キミちゃんの、すらりとのびた手指や脚の交叉が美しい…ぴっぴらさんやかなこさんもかわいくて最高でした。月並みな感想ですが、やはり生は迫力がありますね。それが『夕凪』をあとまわしにした理由でもあるのですが。
『街角花だより』や『長い道』、『さんさん録』もページのチョイスがとても良かっ
たのです。このシーン私も好き! と言いたくなるページばかりで。会場はそれほど広くなく、展示も本物の原稿と複製原稿両方だったのですが、数が絞られていた分却って主催者の「ファンにこうの作品のどんな部分を見てほしいのか」が伝わってきたと思います。『夕凪の街 桜の国』以外はネタバレなしだったかな? 映画からのファンの存在も視野に入れられた展示でした。もし『この世界の片隅に』しか読んだことのない人でも、あの展示を見れば他の作品にも興味を持たずにはいられないでしょうね。
のびやかな『ぼおるぺん古事記』の線画の楽しさ、そしてあのキャラのあのページを展示してくださって本当にありがとうございます☆彡 それにしてもボールペンで描いていてインクがダマになった部分がほとんどないんですよね…丁寧にペン先を拭いながら描いておられるのでしょうね。妻籠みの歌カラーページも素敵でした。
空いている展示から先に見ていったので順番がうろ覚えなのですがこの次『日の鳥』でしたっけ…これもじわっとくる感じで、ええ、是非実物を見ていただきたいですね。『ぼおるぺん古事記』もそうですが『荒神絵巻』も着物でグッときますよね。『ギガタウン』はクスッとくる面白さで、生き物たちがかわいいなあいとおしいなあと。最後は『この世界の片隅に』でしたが、いったん引き返して『夕凪の街 桜の国』の展示へ。わりあい空いてるので自由に見ている人他にもいました。混んでたら横入りになってしまうのでやらないんですが。
『夕凪の街』は初めて読んだ時に落ち込みすぎてあまりちゃんと読めなかったのですが、今回展示で全部のページではないですが読むことができて、細かいところもじっくり見られて、もう一度きちんと読みたいなあと思いました。そして『桜の国』があってこその『夕凪の国』というのもよっくわかりました。あの夢みたいなシーンが本当に良くて泣きそうでした。
そして『この世界の片隅に』またうるうると。
上本町から移動してテアトル梅田さんへ。『この世界の片隅に』は時間が合わなかったので別の映画を観たのですが、このような素敵な展示がされていました。このあとロフトでちょっとしたお買い物。
そして茶屋町のMARUZEN&ジュンクどう書店で『「あ・そ・ぼ」やで!』の原画展示も見させていただきました。表情も仕草もじつにイキイキしていてその美しさに涙せずにはいられませんでした。実はもう今原画展終わってしまってるのでもう少し早く感想書きたかったです…。
ついにサイン会! の前に喫茶店でお手紙を走り書き。焦って何回も書き直したわりに字は汚いし内容も「嬉しいです」「ありがとうございます」「素敵でした」みたいな内容の薄いものでしたが、実際こうの先生を目の前にしたら緊張して言葉がほとんど出なかったので、そんな手紙でも書いておいて良かったです。次の機会があったら家でゆっくり書こうと思いました。
手紙を書き直していたので出遅れてしまって私の前に40人ぐらいは並んでいたのじゃないでしょうか。それだのにひとりひとりに絵を描いて軽くお話もして一緒に写真も撮らせていただくという丁寧な対応に感激しました。
サインというか絵の種類はギガタウンのカエルさんとウサギさん、こっこさん、ぴっぴらさん、大阪限定のモズから選んで描いていただけるスタイルだったのです。『こっこさん』はずっと前に図書館で借りて読んで、今引っ越してこのあたりの図書館にも本屋さんにもずっとなかったので読めなかったのがまさかの再販でぶわっと髪の毛が逆立つほど嬉しかったです。でも『ぴっぴら帳』も相当好きなのでこっこさんとぴっぴらさんのどっちか選べなくて非常に焦りました。物販にぴっぴら帳があればー! だけどそもそももう列に並んでるー!
それで『こっこさん』にぴっぴらさんを描いていただくことにしたのですが、係の方が「こっこさんを描いてもらわなくていいんですか?」と訊いてこられて、こうの先生が「さっきもこっこさんにぴっぴらさんの人いましたよ」的なことを仰って、「どっちも好きで選べなくて…」みたいなことを私は言ったと思います。言えたのかな? 「好き」ってちゃんと言えたのかな私は? もう記憶がやばくてですね、でも写真はちゃんとツーショットで撮っていただいて、そのあとお手紙も渡して「がんばってください」これはちゃんと言えたと思います。こうの先生が「がんばります」って笑って言ってくださったので。そうそう、ロフトで買ったインコのお手紙セットだったんですけどたぶんその鳥がかわいいとかそんなことも言っておられたような…インコ柄にして良かったヽ(;▽;)ノしかしせっかく喜んでいただいたのに変なタイミングで「がんばってください」って言っちゃったような…ウワー! 消えたい! アアー! でもお会い出来て良かったー! 拙いながらも好きの気持ちを伝えられて良かったです!!! 大阪に来てくださってありがとうございました!
そういえばサイン会の列に並んでいる時に係りの人に「お手紙を渡していいですか、どなたかに預ける形でもいいのですが」と訊いたところきちんと事情がわかって対応できる方に確認に行ってくださって「サインの時に直接渡ししてください」って教えていただいて、本当にありがたかったです。近鉄百貨店上本町店のみなさま対応がとても丁寧で真摯であたたかかったです。本当にありがとうございました。記憶が曖昧ですので言葉遣い等もっと丁寧だったかも…とかあるかもしれないですが、ほんとに私は緊張するといちいち細かく確認しないと落ち着けないので丁寧に接していただけて嬉しかったです。
『ガウェインと緑の騎士』フルカラーコミック/キックスーター
ブックマークを整理しようとしたところ、Wi-Fiの調子が悪くて途中で読むのをやめていたコミックを見つけました。Emily Cheesemanという方の”Gawain and the Green Knight”ー『ガウェインと緑の騎士』ーイングランドのアーサー王の甥ガウェインが新年の宴席に突如現れた緑の騎士に奇妙な挑戦を受け…というお話をエミリー・チーズマンさん(発音が合っているかわからない)が漫画化・公開されたものです。
緑の騎士のビジュアルがすごく好きなんです。
Gawain and the Green Knight | Emily Cheeseman
そして偶然にもちょうど今この時期にフルカラーコミックを出版するためのキックスターター(クラウドファンディング)が行われていたのです。2017年5月5日まで。
おまけのコミックも気になるけれど、コンプリートパックでないとそれは読めないしそうするとお値段がハードカバー本30ドルの倍以上の70ドルになって、ちょっとお財布にきついのです。支援してる人もハードカバー本orコンプリートパックに二分されてますね。すごく気持ちはわかる! 悩んでる人が締め切り間際にどどっと申し込みしたらプロジェクト達成金額上回りそう。この方のコミックはとても好きだけど自分は緑の騎士のビジュアルにティン☆ミときただけでガウェインが嫁ってわけでもないしなあ。そもそも日本にも発送してもらえるのか…発送してもらえるとしてもアメリカからの発送なので別途送料はかかると思うのですが、そこは許容範囲です。あいにく今日はたいへん体調がよろしくないので、こういう時に決めるのは自分の経験上良くないのです。申し込みは5月5日までなので、もうちょっと悩んでみようかと思います。悩んで買おうとしたあげく発送対応してないってこともあるのかしら(;´Д`)予想外の出費があって買えなかったら気の毒がってやってください。
参考
Kickstarterで日本から支援するときの流れ解説 http://www.kickstarterfan.com/ordernotice/order @ksfanjapanさん
柊郷の領主ケレブリンボールの紋章をドワーフのナルヴィに作ってもらった
先日2017年3月20日に開催されたHARUコミックシティ内トールキン作品プチオンリーにてペーパーを発行させていただきました。なんでこんなにへりくだっているのかというと原稿だけ作って主催の悠樹さんに印刷搬入配布を丸投げしたからだ。その節はたいへんお世話になりました。ペーパーを受け取ってくれた方もありがとうございます! 参加された方、あの膨大な量のペーパーを全部読めましたか? 私はまだです!
柊郷の領主ケレブリンボールの紋章を作ってもらった
出典
『トールキンによる『指輪物語』の図像世界』
ウェイン.G.ハモンド/クリスティナ.スカル 著 井ツジ朱美 訳 原書房
"THE HOBBIT CHRONICLES CLOAKS & DAGGERS" DANIEL FALCONER
Tolkien Gateway http://tolkiengateway.net/wiki/Main_Page†紋章のグッズってかっこいいですよね! ほしい!
でも私の好きなケレブリンボールには紋章がないのです…。
「なければ作ればいいじゃない」悠樹さんは言いました。
なるほどな~!でも私に作れるのかな?紋章…参考書があるでもないし…
ありました。しかも持ってました『トールキンによる『指輪物語』の図像世界』†エルフの家の紋章は四角□、男性個人はひしがた◇、女性は丸○。
位が高いほどモチーフの尖った部分が端っこに接してる部分が多い。
フィンウェは16個、フィンゴルフィンは8個、対称性を持っている等々。
これに従ってデザインすればいいのでは?†しかし思わぬ伏兵が登場
ネットで調べたフィンロドの紋章が「竪琴と松明」柄
これって自由すぎるのではないですか?
人の子を愛し人の子に愛されたフィンロド様
その紋章を人間が作った可能性をトールキン教授が残したという説もあるのです。
†それならケレブリンボールの紋章をドワーフが作っても問題ないのでは?
ナルゴスロンドに滞在していたからフィンロドに影響されるのも自然だし
エレギオンに移住してからは職人気質が幸してモリアのドワーフと仲がいい。
モリア西門の扉もドワーフのナルヴィと一緒に作りました!
ナルヴィが紋章を作ってくれてもいいよね…いい…!†ホビットクロニクルを参考にモチーフ探し。双頭のカラスのバックルが
クロスした腕っぽい。ケレブリンボールは「銀の拳」握り締めた手。
職人の拳には鎚が握られていたのでは…?†というわけで、こんな紋章になりました。
いずれ持ち物に刺繍してみたいです。
私が作った紋章はこんな感じになったんですけど、人様の作ったケレブリンボールの紋章も見てみたいです。フェアノール家っぽい紋章もかっこいいですし、他の方が鎚を握る手をモチーフにして作ったとしてもまた違う感じのものになりそうですよね。というわけでケレブリンボールに限らず、紋章を作ったら教えてくださると喜びます。
しかし色も塗ってみないと刺繍できない~。
イベント後にトールキンファンが集まって、ミニステージつきの会場だったので飲んだり食べたり歌ったり踊ったりしてとても楽しいひとときを過ごしました。音楽の途中で急に「お皿を割ろっか」と言い出したので店員さんがびっくりしていましたがそういう歌があるんです。カチャカチャトントン。
『沈黙』記事まとめ
上映時間3時間に怯んでまだ観られていないのですが、気になる記事が大量に貯まっているので貼っていきます。早く観られますように。
でも正直に言ってこの前観た『未来を花束にして』と『この世界の片隅に』(5回目)がとてもいい作品だけど重たかったので次は軽いものを観たいですね…評判いいのに地元では上映回数減らされそうな『マグニフィセント・セブン』とかサミュエル・L・ジャクソンが怪演しているという噂の『ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち』とか…。最近観た中では『ザ・コンサルタント』の洗練されたアクションと知的でいながら優しさにあふれるストーリーとに度肝を抜かれました。
2017年2月15日、やっと鑑賞してきました。恐ろしく陰慘なのに映画として興味深くて引き込まれてしまいました。エンドロールに入った時には座っているにも関わらず眩暈がしました…。気持ちが落ち着いたら記事を少しずつ読んでいこうと思います。
日本の俳優が伸び伸び スコセッシ映画 | SERIES|WEB GOETHE|ウェブゲーテ http://goethe.nikkei.co.jp/article/126520518.html
映画「沈黙」原作をより深化 山根・清心女子大教授が解説
http://www.sanyonews.jp/article/485710
https://twitter.com/chinmoku2017/status/820827921187147778
映画『沈黙-サイレンス-』の特別映像をアップしました。監督、キャスト、遠藤周作関係者のコメントや映画のメイキング映像が満載です。
https://t.co/wP08co0hYX
【インタビュー】Martin Scorsese (マーティン・スコセッシ) はなぜ、『沈黙-サイレンス-』を映画化しなければならなかったのか http://fashionpost.jp/portraits/91615
【徹底考察】『沈黙 ‐サイレンス‐』が問うそれぞれの信仰のかたち ─ カトリック教徒の見地から
https://oriver.style/cinema/silence-review-2/
『沈黙』のキリシタンは、結局なにを拝んでいたのか? http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50887
原作 遠藤周作×監督 マーティン・スコセッシ『沈黙~サイレンス』映画評 by 藤原敏史 http://www.france10.tv/entertainment/6037/ @@france10tvから
窪塚洋介 「ローマ法王が僕の場面で大爆笑」…舞台挨拶で思いあふれ独演30分(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170204-00000104-dal-ent #Yahooニュース
『沈黙』について 講演者:遠藤周作 再生時間:40分31秒 新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/112315/#b_section01
小野寺系の『沈黙ーサイレンスー』評:遠藤周作とスコセッシ監督に共通するキリスト教への問い http://realsound.jp/movie/2017/01/post-3876.html @realsoundjpから
”スコセッシ教”の敬虔な信者、塚本晋也がアツく語った「沈黙」とマーティン・スコセッシ監督。今だから話せるアレコレ-- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
#沈黙−サイレンス #マーティン・スコセッシ #塚本晋也
http://cinefil.tokyo/_ct/17037472
窪塚洋介、デビュー時よりも反響大きい!ハリウッド出演作に「万年残る」 https://kaigai-drama-board.com/posts/4239 #AXNJapan
【インタビュー】まさに歴史的演技
。窪塚洋介がマーティン・スコセッシと『沈黙-サイレンス-』を語る http://fashionpost.jp/portraits/90149
遠藤周作に30年寄り添った弟子に聞く「沈黙」 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/012700229/?n_cid=nbpnbo_twbn
瞬きて、視覚
Mon.01.30.2017
『沈黙‐サイレンス‐』 実写化に必要なものは、熱意と技巧。
http://ocnis.petit.cc/lime/2664104
【解説 】マーティン・スコセッシはいかにして『沈黙-サイレンス-』を「宗教映画」の枷から救ったのか? https://oriver.style/cinema/silence-review-3/ @oriver_cinemaから
Topics:映画「沈黙-サイレンス-」 宣教師の苦悩自らに重ね バチカン・ローマ法王も関心 - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20170126/dde/012/200/002000c
マーティン・スコセッシ『沈黙 –サイレンス–』来日記者会見全文掲載
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/martinscorsese/index.html#.WIH3i2B_aV4.twitter
なぜゴクリ(ゴラム)を好きなのか考えてみました
『トールキン Advent Calendar 2016』に参加しようと意気込んだものの、まとまらなくてグダグダしてしまっていた記事です。素敵な企画をありがとうございます。
http://www.adventar.org/calendars/1583/
"The Hobbit Facsimile First Edition"(ホビットの初版本の復刻版、暗闇のなぞなぞ勝負の筋が違う初期版)のネタバレがあります。
小説『ホビットの冒険』、同じく『指輪物語』、映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作とトールキン坂を登ってきた私の一番好きなキャラクターはギムリですが、ゴクリもかなり好きです。
ホビットを読んだ時はこれ(!)が指輪物語にまで出てくるとは思っていなくて、なかなか気持ち悪い生き物だなあ、と思っていたように記憶しています。エルフや神秘的な存在から与えられるのではなく、こういう生き物がずっと持っていた指輪を拾って我が物にするシチュエーション自体薄気味悪い心地もしていたかもしれません。その後指輪物語に出てきた時、フロドとサムの道連れとして登場した時には不穏な予感しかなく、あのただでさえ苦痛の多いフロドの旅路にあってゴクリの存在にはうんざりしましたし道案内が必要だから消えていなくなってもらっては困るしで、あの悲しい結末にはほっと安堵さえしました。小説を読んでいた当時は今よりずっとネガティブな精神状態だったもので、あそこまで指輪に囚われてしまったゴクリが救われるにはああいう形での解放以外もうどんな方法もないように思えたからです。その後、ガンダルフはゴクリをも助けようとしていた、という指摘をインターネットで拝見し、はっとしたものの、ガンダルフ特に白い方は俯瞰でものを見られる存在だからなあ…と片付け、最初の読書後の私自身のゴクリに対する感情は同情も少しはありつつ、嫌悪がまさっていたように思います。
好きだと気づいたきっかけは三部作映画の二作目『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』のエンディングテーマ、エミリアナ・トリーニ氏が歌う『ゴラム・ソング』でした。作曲は劇中音楽を手がけたハワード・ショア氏、作詞は脚本に携わったフラン・ウォルシュ氏という隙のない布陣。共同脚本のフィリッパ・ボウエン氏いわく、フランは「曲を聞いたら自然に歌詞が浮かんできた」と言っていたと。アイスランド系のトリーニを起用したのは英語とは異なるアクセントがゴラム(ゴクリ)らしさを表現するだろうことを期待した、とはショア氏の言葉です。(『二つの塔』エクステンデッド版特典映像「音と音楽」より)そしてあの美しく物悲しい歌が映画の最後に流れることになったのです。
『二つの塔』はレンタルかNHKBSで観たのだったかな、面白いけれどとにかく長くって、内容もどんどん暗くなっていって(救いが全くないのではなかったけれども)ああやっと終わる…と、くたびれていたところに訳詞の字幕が飛び込んできて、最初は「これは誰の気持ちを歌ったのだろう…?」と訝しみ興味をひきつけられ、ハッとゴラム(ゴクリ)の歌であることに気づき、歌詞に紡がれたゴラムの深い悲しみと渇望に触れて、胸が苦しくなるほどでした。それ以来ゴラム(ゴクリ)のことが好きです。
第一印象や描写の表面的な部分から、自分を取って食おうとしていたゴクリに同情するのはビルボがあんまり心優しすぎると思いましたし、ガンダルフがゴクリを憐れな奴だと言うのも灰色の彼でさえ並の人間よりずっと慈悲深くて、フロドもとびきり心が広く、サムだってずいぶん寛大に見える…なんて理由をつけて自分がゴクリ(ゴラム)を好きになるのを拒んでいたのですが、あの悲しげな歌声と歌詞が切なさと深い悲しみを訴えかけ私の中の「情け」を引きずり出してしまったのです。自分はそんなに立派でないから情け深い存在にはなれない、と思い込んでいた節があるのですが、歌をきっかけに、別に立派でなくても誰かや何かを憐れむ気持ちは持っていいんだ、と。むしろ何かのきっかけでゴクリのようにこそこそとしたずるい存在になるかもしれない自分だからこそ親近感を持って愛せる道を照らしてもらったような気がします。
それより前からアンディ・サーキスの素晴らしい演技や、まるで本当に生きて存在しているものを撮影したかのようなCG処理の巧みな演出にもだいぶやられてはいたんですが、『ゴラム・ソング』がなかったら、私は長い間ゴラムのことを内心ではかわいく思い、自分に通じるものを感じながらも嫌悪しなくてはならないモヤモヤしたおかしな状態のままだったでしょうね。フロドにしぶしぶ従ってみせながら指輪を取ることしか考えていないゴラム(ゴクリ)に愛情を抱くことにためらっていた私自身が映画と音楽によって解放され、フロドやサムを応援し好きでいながらゴラム(ゴクリ)を可哀想だと思っていいんだ…愛しいと思っていいんだ…と、物語の複数の登場人物たちを同時に様々な感情から見ることができるようになったのです。ホビット庄から出たことのなかったサムがやがて灰色港から出発する船を見届けて帰って来たかのような飛躍…とまではいかないのですが、少しだけその翼のはじっこにつかまらせてもらって前より少し高いところから見られるようになったとでも言いましょうか。
真に面白い物語というのはすじだけを追っても面白く、細部の様々な仕掛けに気がつくとなお面白く、視点を変えて楽しむこともできる、というのをここ何年か映画を観てたびたび実感しているのですが、『ホビットの冒険』『指輪物語』もまさにそのような作品で、その映像化作品である『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズが私の目を開いてくれたのは当然の結果とは言え、幸いなことでした。
今年は"The Hobbit Facsimile First Edition"(ホビットの初版本の復刻版、暗闇のなぞなぞ勝負の筋が違う初期版)のなぞなぞの章を読みました。負けたゴクリが贈り物として指輪をくれようとしたけれどもその前に洞窟で落としたのをビルボが拾っていたので贈り物のかわりに洞窟から出る道を教えてくれる、という話だったのですが、ゴクリがバギンズを恨んだり盗人と罵ったりしないものだからビルボがよけい悪く見えるという…ビルボの暗黒面の描写はとても好きなんですけれども、反動でゴクリが妙に公正な――独自の判断基準で動いているけれど誰かに対して恨みや怒りを抱いていないキャラになってしまっていてちょっとつまらない感じなんです。小説を初めに読んだ頃ならこちらのいいやつキャラのゴクリの方が感情移入はしやすかったと思うんです。しかしそうするとなんで指輪棄却の旅に同行するのかの動機が薄くなる上に終盤の展開が今以上に割り切れない辛いものになってしまいます…このゴクリなら道を誤らないかもしれない…。しかしこそこそした気持ち悪いゴクリの方が物語が面白くなるし、指輪の恐ろしさを最後の最後に実感できる効果もありますし、ビルボの感じた「情け」を味わえるので良いと思いました。なんだかんだ最初に触れたものを最良と思ってしまいがちではありますが。
後に『シルマリルの物語』の読書を薦められた際に、あの世界では神々やエルフが奏でる音楽や言葉に特別な力があるという設定を教えられて、それはすごくファンタジーだな…、と思っていたのですが、何のことはない、私も歌に魅了されて中つ国への道を踏み出していたのです。映画のスタッフ陣がトールキン世界のそんなところまで再現していたとはまさか思いもよりませんでした、というオチにて、しめさせていだきます。
読んでいただいてありがとうございました!
音声ガイド・UDcastとは
UDcastとは
http://udcast.net/index.html
スマートフォンやタブレットを利用し、通常の放送・上映では伝えられない情報を伝えるためのサービスです。
例えば映画『この世界の片隅に』では目の見えない・見えにくい方に音声で登場人物や風景のガイド説明をするバリアフリー上映を行っています。テレビ放送の副音声のようなものです。
映画『この世界の片隅に』公式サイトの劇場情報のページに説明が載っています。
<『この世界の片隅に』バリアフリー上映のご案内>
日本語字幕付き上映、音声ガイド上映を一部劇場にて実施致します。
※一部対応していない劇場もございます。あらかじめご了承下さいませ
【日本語字幕付き上映】
耳の不自由な方に映画を楽しんでいただけるよう、日本語字幕付きの上映を実施致します。通常通り音声も出ますので、一般の方もご鑑賞頂けます。
【音声ガイド付き上映】
UDCast方式による音声ガイド上映を実施致します。
UDCastとは、「見えない」「見えにくい」方が、いつでもどこでも日本映画が楽しめるよう、携帯機器(スマートフォン・タブレット端末)とイヤホンを使って音声ガイド付きで鑑賞して頂けるシステムです。
■『UDCast』の詳しい説明はこちら(http://udcast.net/index.html)
■動作確認はこちら(http://udcast.net/demo.html)
映画『この世界の片隅に』ではもっぱら音声ガイド用に使われていますが、公式サイトによると音声情報だけではなく字幕や別角度からの映像を本編映像に対応させてスマホ・タブレット端末に表示できるサービスなのです。
複数の言語に対応しており、DVDやBDの特典サービスとして活用されており、コミケ会場であるビッグサイトでも使用されているということなので、映画や舞台鑑賞、ライブが好きな人間は知っておいて損はないサービスではないでしょうか。
美術館や博物館でも使えるようになるみたいですね。英語のヒアリングはできなくても文字情報なら何とかなる人も海外イベントでこういうサービスが利用できたらいいですよね。
字幕眼鏡も今はまだ高いですけど、近い将来に映画館で貸し出しサービスなど利用できたら嬉しいです。
アプリを入れておけばインターネット環境がなくても災害時等に使えるということで、個人的にパニック時には音声より文字情報の方がありがたい、と試しにアプリをダウンロード、動作確認してみました。何度か試して動作確認はできたものの、災害情報のデモはありませんでした。これは本番に取っておきます。本番は来ない方がいいのですが、備えとして。
音声ガイドも話題になっていてどんなものか気になっていたのでデモ動画を見てみました。
スマホにイヤホンを差し込み、UDcastアプリの「動作確認」からデモ動画『絵の中のぼくの村』を選択し、音声ガイドの文字に触るとデータがダウンロードされ、音声ガイドモードの画面に切り替わり、少し待つと音楽と「本編が始まると音声ガイドが始まります」と音声が聞こえてきます。別の端末で『絵の中のぼくの村』を再生すると、動画のガイド音声が聞こえてきました。背景や登場人物の動きなどを説明しています。「教室の後ろの壁に絵が貼ってある」とか「廊下を歩いてくる」みたいな感じです。ガイド音声は台詞にかぶらないように気を配ってあるので、聞き取りやすかったです。
ガイドを聞いてわかったことは、私は固有名詞を聞き取るのが苦手だな…ということです。他の言葉はわかるのですが、名前だけが極端に聞き取りにくいんです。なので、私がこのサービスを利用することになったら主要人物の名前を前もって調べておかないといけないですね。
日本初のバリアフリー映画館、シネマ・チュプキさんでは、座席にイヤホンジャックがついていて、スマホ・タブレット端末を用意しなくても音声ガイドが聞ける仕組みがあります。
水原さん役の小野大輔さんがガイドの声を担当している『ソング・オブ・ザ・シー』はすごく評判がいいので行ける距離ならなら観に行きたいです。障碍のない方にもたくさん来てほしい、という企画です。
CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)
http://chupki.jpn.org
シアターの特徴
http://chupki.jpn.org/gallery
小野大輔さんのファンと共に映画館を変えたい
https://coubic.com/chupki/357286
シネマ・チュプキで音声ガイドを使って鑑賞されたvoldenuitさんのツイート
#チュプキ
— voldenuit (@voldenuit_a_u) 2017年8月25日
先日初めて音声ガイドを使って映画を観た。(音声ガイドというものがあること自体、今回初めて知った。)
今回体験した「シネマ・チュプキ・タバタ」では全席にイヤホンジャックが付いていて「台詞を妨げることなく映画の場面を説明してわかりやすい」とのこと。期待が高まる。
(続く)
#チュプキ
— voldenuit (@voldenuit_a_u) 2017年8月25日
(続き)
実際に音声ガイドを聞いていて実感したのは、見ているつもりで実は見えていない(気づかない)ことが結構あるんだな、ということ。
登場人物の表情や様子を言葉で説明してくれるので、(目が見えていても)場面の状況を理解する助けになった。
(続く)
#チュプキ
— voldenuit (@voldenuit_a_u) 2017年8月25日
(続き)
それから、普段の生活で人に説明するときのヒントも。
例えば今回観た「この世界の片隅に」に何度も出てくる「三ツ蔵」。最初に出てくるときは「蔵が三つ並んだ、三ツ蔵」と説明していた。初出時に言葉を補うことで、なじみのない言葉でも入ってきやすくなる。
(続く)
#チュプキ
— voldenuit (@voldenuit_a_u) 2017年8月25日
(続き)
また、「六畳間で」「三畳間で」と場所の情報を加えることで、聞く人が情景を思い描けるようにしていた。
他にも「鬼いちゃん」を「おに、いちゃん」といったり、映画が表現するたくさんの場面をできるだけ忠実に伝えようとする真摯な姿勢を感じた。
◇ 広島国際映画祭2017
『この世界の片隅に』バリアフリー版の上映決定 2017/8/9
http://hiff.jp/archives/3579/
会期は11月24日~26日、『この世界の片隅に』のスケジュールはまだ出ていません。
◇家庭で使ってみてわかったこと、気になったことを書いてみます。
字幕や音声ガイドのデータは映画館でなくてもダウンロードできるみたいです。「映画・映像」の「音声ガイド」の作品一覧でタイトルを押したらダウンロードが始まったので、たぶん…。
スマホ・タブレット端末を一定時間操作しないと電源が自動オフになる設定にしていると映画の途中で切れてしまうかもしれません。電源がオフにならないように設定し直しておくといいです。
使い方のページにスマホを機内モードに設定するよう書いてありました。
これを設定すると電源はついているが通信はできない状態になり、上映中にニュースやメールを受信してうっかり点滅する事故はなくなりますね。
映画が始まったら音量の調整以外で操作をする必要はないので、光漏れしない暗い色か厚めのカバンなどに入れて膝に乗せて置くといいのではないでしょうか。
UDcastにはスマホに字幕を表示するサービスもありますが、『この世界の片隅に』が対応しているのは音声ガイドだけでなので、上映中にスマホの画面が眩しくて周りの人の注目を集めるような使い方にはならないと思います。
日本語字幕付き上映も回数増えるといいですね…( ˘ω˘)
イヤホンは音漏れしにくくてコードの長さにも余裕のあるものがいいですね。
『この世界の片隅に』封切り上映時は音声ガイドは全館対応だった気がしますが、上映館が増えてきたので対応していない映画館もあるみたいです。行かれる方は気をつけてください。
美術館や博物館で展示を鑑賞途中、一時停止・止めたところから再生・スキップはできるのか? 未体験なのでよくわからないです。
アプリのインストールから動作確認までするのは少しハードルが高いかもしれないです(個人差があるかもしれない…)。自分ではできなかったけど映画館の人に設定をしてもらって音声ガイド付きで映画を鑑賞できた、という話を見かけました。
今回自分で試しにアプリをいれてみたことで、将来の自分や家族や友人知人はたまた映画館で居合わせた人を手助けできるかもしれないです。
このアプリ、こう色々すれば舞台のマルチアングルや日替わりアドリブネタにも対応できる、かなりすごいサービスになり得るんですよね…劇場の空気感は味わえないまでも…。
またわかったことなどありましたら追記・訂正します。
(2017年1月19日 追記)
一部の映画館でFMラジオとイヤホンを使用して音声ガイドを提供する取り組みをしているようです。端末機器を持っていない方に対応した素晴らしいサービスですね。
おすすめトールキン関連書籍
Tolkien Writing Day(http://bagend.me/writing-day/)第三回開催おめでとうございます。二回目は残念ながら不参加でしたが、皆様の素敵な記事を読むことができて楽しかったです。素晴らしい企画をありがとうございます。
今回はおすすめのトールキン関連書籍、『中つ国の歴史』こと『HOME』9巻(The History of Middle-Earth Sauron Defeated)の「第三紀の終わり」の「エピローグ」について書きました。英語が不得手な私が要約したものですので、少しでも興味があるならば是非ご自分の目で原文を確認されることをおすすめします。
https://www.amazon.co.jp/Sauron-Defeated-Third-History-Middle-Earth/dp/0261103059
J・R・R・トールキン教授の執筆した草稿やメモ書きを、トールキン研究者であり息子でもあるクリストファー・トールキン教授がまとめて出版した遺稿集のうち、指輪物語を扱ったシリーズの最終部分にあたり、物語の最後でフロドを見送り袋小路屋敷に帰ってきてから十数年後のサムの話です。
『HOME』読者には「幻のエピローグ」として知られるこの話に書かれたサムの思いや、物語を推敲・編纂するに当たってのトールキン教授の意図についての考察・感想は多くのサイトやブログの記事で読むことができます。
私はサムのことも好きなのですが、今回は大好きなギムリとレゴラスのエピソードを取り上げます。同じ本を読むのでも個人やその時の気分によって色々な読み方、楽しみ方があることを伝えられたら、と思います。
ある3月の晩に袋小路屋敷の書斎でサムが語る旅の仲間のその後の話、そして…。子どもたちに囲まれて話をするバージョンと、愛娘エラノールと会話しながら子どもたちの質問とその答えのメモを紹介するバージョンとあります。
中でも私が特に好きなのが、ギムリがゴンドールに来たって王となったアラゴルンのために働いた話です。『指輪物語 王の帰還 上 九・最終戦略会議』(評論社文庫版参照)で、ギムリが「アラゴルンが当然受くべきものを受ける時が来たら、わたしはかれにはなれ山の石工たちの奉仕を提供しよう」とレゴラスに言い、また別の場面でアラゴルンが、破壊された城門を見て「もしわれらの望みがことごとく滅び去ることがなければ、その時はやがてグローインの息子ギムリをかの地に送ってはなれ山の石工たちを招請しよう」と言った、そのことが実行されたのです。ドワーフは約束を違えることはないのです。ちなみにレゴラスもゴンドールには「庭が必要だ」として、イシリアンに移住しています。
ここから先が『追補編』とは違っていて、ギムリと彼の種族(はるばるゴンドールへ南下した、はなれ山の民の一部)は長きに渡り(都市再建の)仕事に取り組み、その誇らしい仕事が終わった後にはミナス・ティリスの西の白の山脈に住んだということです。このバージョンではギムリは燦光洞を一年おきに訪れたことになっています。
クリストファー教授が解説で示した草稿には「白の山脈のミナス・ティリスからそう遠くない地に住んだ」ともあります。しかしギムリが友であるアラゴルンの拠点であるミナス・ティリスの近くに居を構えた設定は、残念ながら没になりました。『指輪物語 追補編』ではギムリと彼の民は「サウロンの滅亡後、ギムリはエレボールのドワーフ族の一部を南に連れてきた。そしてかれは燦光洞の領主となった。かれとかれの民はゴンドールとローハンですぐれた仕事を数々行った。ミナス・ティリスのためにかれらは、魔王によって粉砕された城門の代わりに、ミスリルと鋼の門を作り上げた。」(『追補編』A-Ⅲ)と変更されています。変更された理由については言及されていないのですが、考えるに、ギムリとアラゴルンだけでなく、ローハンのエオメルとの結びつきを強固なものとしたかったのでしょうか。
なお、ギムリが土木工事や建築の面のみならずアラゴルンの仕事を助けていたことは『終わらざりし物語 下Ⅰあやめ野の凶事』に少し書いてあります。第三紀の中つ国に興味がある人は『終わらざりし物語』は下から読んでもかまわないと思います。『追補編』の次に読むのでもいいかと。上の方は第一紀と第二紀の歴史が書かれています。
また「エピローグ」にはギムリとレゴラスが自分たちの種族を連れてアラゴルンのいる南へ旅をし、ドワーフたちとエルフたちが共に連れ立つ様が素晴らしかったそうだ、という話もあります。サムはこの話をエオウィンを訪問したメリーから聞いているので、このように伝聞なのです。
長くいがみ合っていた両種族が人間の統治する国へ向かって、戦うためでなくそこで働き住まうために一緒に旅をしただなんて、この上なく平和を象徴する光景だったことだろうと思います。
中つ国から影の脅威が取り除かれドワーフとエルフが手を携えるようになるまでどれくらいの年月がかかったことでしょうか。そしてドワーフのギムリとエルフのレゴラスの仲を取り持ったのがアラゴルンたちたくましくも礼儀正しい人間と、小さくて勇敢なホビットたちと思うと旅の仲間は本当に素晴らしい人選だったなあとしみじみ思います。もちろん、魔法使いのガンダルフのことも忘れてはいけませんね。
『HOME6』に書かれていた、初期の設定ではエルフのグロールフィンデルやエレストール、ドワーフではバーリンの息子ブリン(またはフラール)が仲間になる案もあったようですが、彼らが背負うものはたいへんに重たいですね。もし彼らが旅の仲間だったとしたら、道中、ケレド=ザラムを見なくては! とフロドを誘ったり、ニムロデルの歌を歌ったりしてくれなさそうな、本人たちの意図とは無関係にその明るい振る舞いがホビットや読者を元気づけてはくれなそうなメンバーです。何ならバルログと戦ってガンダルフを危機から救ってしまいそうな印象もありますが、彼らには彼らにふさわしい役目があり、我々の知るホビットが主役の物語にはあまり詳しくは書かれなかったのです。出番がなくなってしまったドワーフもいますが、物語を完結させるために必要な過程だったのかもしれません…。
『HOME9』に戻りましょう。
ケレボルン殿は木々の間でエルフらしく幸せに彼の土地で暮らしているだろう、まだ彼の時は来ていないが、中つ国に倦んだらいつでも旅立つことができる、レゴラスもいつか海へ行くだろう、ギムリがいる限りは留まっているだろうが、という話もあります。
『追補編』を読まれた皆様がご存知のように、アラゴルンが亡くなった後、レゴラスはギムリを連れて西へと旅立ちます。
私にはエルフの気持ちを理解するのはとても難しいのですが、エルフはうんと長命ですから、いつか会いに行かれると信じているならばガラドリエルと別々に暮らすのもケレボルンにとっては直ちに胸が張り裂けるほど辛いことではなかったのかな? と思いました。これを読む前に思っていたよりは辛くなさそうで安心しました。
鷗の声に心を奪われながらも定命の友と離れがたく中つ国に留まり続けるレゴラス、大いなる脅威もなく簡単に命を落とすことのなくなった世で待つことができる、という気質はケレボルンと似ているのでしょうか。エルフ全般がこうではないにしても。
『追補編』の話になりますが、レゴラスが自分と同じ名(エリン・ラスガレンすなわち緑葉の森)を新たにつけられた森から出たことは私自身もしばしば冗談半分に語ってしまいがちです。しかしこうして『HOME』を少しばかりめくってみれば、レゴラスの移住はただイシリアンのその土地を気に入っただけでなく、アラゴルンやギムリへの友情があったればこそ、と考えるのは当然です。
レゴラスの父であるエルフ王も、ケレボルンのようにエルフらしく自分の愛した土地で暮らすことに喜びを感じたのではないか、と想像を巡らせますと、父王の手に何の妨げもなく愛することのできる、やがて美しさを取り戻すであろう森が戻ったのを知ったレゴラスは安心して森を出たのではないかと。無論これは人間である私の想像でしかないのですが、レゴラスがミナス・ティリスや燦光洞に住まなかったために彼らへの友情が目減りしないように、緑葉の森に住まなかったために親や同胞への愛情が減じることもないと思います。むしろ旅を通して成長し独立するという、人間に近い適応をしたのかもしれません。
レゴラスは『指輪物語』に出てくるエルフの中でも飛び抜けて風変わりな印象が強いのですが、少し変わった表し方をしているだけで彼なりに愛情深いキャラクターなのだと思います。それだから私はレゴラスのことが好きですし、もう少し人間に近い感情表現をしてくれるギムリのことは大好きなのです。
かなり偏ったエピソード紹介になりましたが、没にされたり出版されるに至らなかったとは言え、『HOME』には『指輪物語』や『ホビット』、『シルマリルの物語』の原型や、物語の隙間を埋めるものがあることが伝えられたでしょうか。
『HOME』9巻にはフロドとサムのモルドール行から「エピローグ」まで、何度も何度も修正されて出版に至った草稿から、本編とまるで違っているエピソードが多数収録されています。特にサルマンの最後が…。後半にはヌーメノールの原型となった話が載っています。「エピローグ」だけでもたくさんの面白い話(子どもたちの興味の先に、サムのエルフ語ミニ講座、アラゴルンの茶目っ気)や、しんみりするエピソード(飛陰は…、エントは…)が満載です。特にサムの話は前述の通り日本語サイト・ブログでも取り上げられていますので、是非検索して読んでみてください。また、原書を手にとって、『HOME』の楽しさを知っていただけたらと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。