往きて迷いし物語

もるあきがトールキン教授やPJ監督に翻弄されるブログ・『この世界の片隅に』備忘録

「特別展 西行」和歌山県立博物館

 今月(2018年11月)25日まで和歌山県立博物館(https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/saigyou/frameset.htm)で「特別展 西行」展が開催中です。私は大河ドラマ平清盛』で井浦新さん演じる崇徳院が好きだったのですが、放映当時のイベントや展覧会ましてや白峯寺へ行く機会もついぞなかったのです。今になって比較的気軽に行ける和歌山県立博物館で西行の特集がというのも何かの縁と思い、関連展示はあるかなという下心を抱いて訪れたのでした。

 

 記憶力がザルなので今検索して確認しましたが、西行はドラマの中では佐藤義清の俗名で若き清盛の同僚である北面の武士としての出番が主だったはず。かなり最初の方ですね。出家してからは時々ふらりと出てきて乱れた世を嘆いていた…? どうだったかな…? ほぼ「願わくは花の下にて」の記憶しかない状態で観覧に挑みました。

 

 まず西行法師の経歴(印刷したものが配布されていて親切)と活躍した土地の説明があり、展示室に入ったすぐの場所に西行坐像、大きめの像が展示してあり、なるほど西行さんはこういう人だったのか…と思いきや、説明を見、音声ガイド(200円という安さ)を聞くには、江戸時代に「今西行」と呼ばれた歌人にして西行研究者の似雲(ジウン)という僧侶が厳しい面影の高僧の像を当時流布していた西行のイメージに合うのでこれを西行像とした、みたいな話で、びっくりしました。江戸時代に西行をイメージして彫られた像でもなく、他の人物である可能性が高い、とある僧侶の像を西行ということにしたと。もう一回書いてみたけどよくわからないですねこれ。ただわかるのは江戸時代に西行さんにアツいファンがついていた、そういうことです。

 続いてはちゃんと西行さんとして作られた像と西行さんとして描かれた姿絵です。絵の上の方には西行さんの歌も書いてあるのが洒落てます。とんちの効いた絵もあって面白かったです。

 

 西行さんの歌が最初に歌集に載った時は有名じゃなかったので詠み人知らずとされたとか、「世を捨つる…」が「身を捨つる…」に変えられたとか散々でしたが、やがて新古今和歌集には94首も載るようになったよっていう展示がありました。でもこの最初に載った詞花和歌集崇徳院が命じて編纂されたものだとか…初めて西行さんの才能を見出したのは崇徳上皇なの…? 藤原顕輔かも…? どうせ名前載せてもわからないから匿名でいいでしょとか載せる人が勝手に改変とか平安時代からあったんだな…こわ…。そんな感じで歌のことなどはわからないものの、けっこう楽しんで見ました。

 しかし本人が詠んだ歌も多いしけっこうな数の歌集を編み歌合もプロデュースしている…? 才能に溢れすぎてて逆に凄さがよくわからないんですが。

 西行さんが書いた手紙もありました。戦で人が死ぬことがおびただしいのを嘆いていたり、出家した理由とも繋がってるんでしょうかしらね。

 

 そして西行の家族の話や、有職故実に詳しかったので引用元にされた話など。蹴鞠にも詳しかった。

 そんな何の不自由もない暮らしなのに突然出家したのでふしぎ! みたいなことを藤原頼長台記にも書かれていたんですね。理由は友人の死とか高貴な人に失恋したとか諸説あります。

 妻も娘さんも出家して心安らかに暮らせたのかなあ、世の中が乱れてたからどうだろう。おのれ清盛め…。

 

 そして崇徳上皇像ですよ。像といっても木彫りのそれではなく絵です。思わず拝む。京都からわざわざ和歌山まで来ていただいてありがたいなあ…。展示資料一覧を見るに、前期展示にはなかったんですね。何も調べないでぐずぐずしていただけなんですが後期に行ってよかったです本当に。

 

 紀伊国の池田荘の佐藤氏の記録の展示など。訴え書きとか昔の地図とか目録とか。平重盛が建立したお寺にあった観音像の展示もあって心が満たされました。ドラマでは窪田正孝さんの演技が凄まじかったですね。

 

 文化財を紹介する流れで海神社(http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=3022)の脇差・銘国次が見られたのがよかったです。柾目肌がしっかり見えて帽子は反り返りっていうのかな、ぼわーっと沸えていました。用語の使い方合ってるかわからないけど…。銘も読める範囲で「□池田荘海上ツ(?)□國次□」的な感じでした。京のかたな展で刀剣の見方を少しおぼえました。展示を見終わってから気がついたのですが、和歌山県立博物館では単眼鏡の貸出もしているそうです。いきなり買うには高価なものなので次の機会には試してみたいです。

 

 高野山の図絵に西行桜があるよーとか、今このさくらそのものはないけど代々植えてるんだよーとか。

 

 西行霊夢で見た阿弥陀如来と脇侍を模刻した像があり、ここでも西行さんの新しい才能を知ることになりました。えっと本人が彫ったのですか…? これらを…? 西行 霊夢で検索してもゲームのキャラが出てくるんですが…。彫師に指示して作らせたのかな、それでも大した才能ですが。詳しく知りたいけど西行さんの歌人以外の部分にフォーカスした本はどれを読めばいいのかしら。

 

 この霊夢のくだりが江戸時代のアツい西行ファンこと似雲さんがリスペクトゆえに西行さんの旅路を追跡行脚してついに弘川寺(http://www.town.kanan.osaka.jp/kananchotte/kankogaido/terajinja/1394613320825.html)の墳墓が西行さんのお墓であると夢のお告げで知ることになるエピソードと繋がります。たぶん。私が西行さんを主人公にした漫画を描くように言われたらこの似雲さんを案内役にしますね。ツッコミ役の従者がいるといいかも。

 

 ところでカタカナをやたらに使わずに文章を書けるようになりたいです…。

 

 西行さんの業績や旅の様子を描いた絵巻などの資料がどんどこ出てくるのですが、その中に西行崇徳院廟を訪ねたものがあり、涙がこぼれます。雨月物語の白峯(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E#%E7%99%BD%E5%B3%AF)として有名な、恨みから異形の怪しに変化した崇徳院が法師として各地を行脚した西行との対話を通し、またかつてその才を愛でた西行の歌によって穏やかな心を取り戻す…という話です。諸説あるという西行の出家の理由はこの時こうして崇徳院の御霊を慰めるために観世音菩薩に導かれたとかでいいんじゃないかなもう。駄目? 御白河院があそこまでああじゃなかったら崇徳院もここまでならなかったんじゃないのかなと思うけど歴史を進めるために御白河・清盛・頼朝は外せないんだろうな…。(何目線か)

 白峯寺からも「歌仙切 崇徳上皇像」が貸し出されています。よくぞ和歌山においでくだされた…。また拝む。

 

「願わくは」関連展示もありました。弘川寺全面協賛で、好きな人にはグッとくるんだろうなあ…と思いながらみていました。

 

 その次は史実と伝承という展示で、絵巻になったり能になったり八面六臂の活躍ぶりです。ここでも白峯の絵だったり、成長した娘さんの穏やかな尼姿だったりが見られて和みました。ドラマであの幼い娘さんを振り払う場面辛かったですからね…。幼い子が出家の妨げになるというのはたぶん仏陀ラーフラになぞらえたフィクションかなと思うんですが…。

 

 江戸時代に武家屋敷に置くのが流行った笑顔の西行さん人形とか、意味はよくわからないけど可愛らしいものもありました。何かご利益があったのかな。そしてこれが他のお坊さんではなく西行さんってことが資料とかに残されているんだよな…。花見の神様みたいな雑な扱いでも面白いけど違うだろうな。

 

 西行さんが生きた時代の人から見た西行の文書資料が展示されて終わり。疲れからかこのあたりの記憶はありません。2時間くらいしかいなかったんですけどね…。体力つけたいです。

 

 かなり偏った見方をしてきましたが、とても面白かったです。

 私は疲れて見られなかったのですが、ロビーで絵巻の解説ビデオが見られたり、17日にも申し込み不要で無料の解説講座、23日24日にミュージアムトークがあるようなので、興味のある方はぜひ行ってみてください。(https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/saigyou/ivent.htm

 図録も郵送購入できます。(https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/syuppan.htm

 

 和歌山県立博物館に入館すると和歌山城天守閣とわかやま歴史館の共通入場券の割引券がもらえます。(発行から3日間有効)

 また博物館に隣接した近代美術館も広々としてゆったりと鑑賞できるのでおすすめです。