往きて迷いし物語

もるあきがトールキン教授やPJ監督に翻弄されるブログ・『この世界の片隅に』備忘録

『妖精物語について』雑感

 TolkienReadingDayによせて、はしりがき。

 

 2018年5月に京都で開催されたエルフ語講座のアフターで、トールキン教授の従軍体験がいかに創作に影響を及ぼしたか、というテーマが語られ、その際に読書を勧められていたのがトールキン教授のエッセイ『妖精物語について』である。私はこの話題には参加できなかったものの興味を抱き、帰宅して早速本を注文したのだった。

 以下に覚え書きを記す。綴りや年代等間違っていたら教えてください。(-"-;)

 

・入手しやすい(今回読んだのはこちら)

『妖精物語について ファンタジーの世界』

評論社/2003年/猪熊葉子先生訳

エッセイ「妖精物語について」

短編「ニグルの木の葉」

詩「神話の創造」

https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000004310057-00/

 

・入手はむずかしい

『ファンタジーの世界――妖精物語について』

福音館書店/1973年/猪熊葉子先生訳

エッセイ「妖精物語について」

https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000001256012-00/

 評論社版を読んでいるのであれば、こちらを読む必要はない?

 

『妖精物語の国へ』

筑摩書房/2003年/杉山洋子先生訳

エッセイ「妖精物語について」

詩「神話を創る」

詩劇「ビュルフトエルムの息子ビュルフトノスの帰還」

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480038302/

出版社在庫なし

 

「ニグルの木の葉」は『妖精物語について ファンタジーの世界』と『農夫ジャイルズの冒険 : トールキン小品集』(トールキン小品集が改題された)に収録。

 

・原書

"On Fairy-Stories" (妖精物語について)

1938年、セント・アンドリュース大学での講演

アンドリュー・ラング記念講演のひとつとして書かれる。

1947年、『チャールズ・ウイリアムズ記念論文集』に増補版が収録、

1964年、"Leaf by Niggle" (ニグルの木の葉)を加えた"Tree and Leaf"出版。

1988年、"Mythopoeia"(神話の創造)を加えた"TREE AND LEAF"出版。クリストファー教授に感謝。

 

 本の内容については語れるほど読み込めていないので、我が旅路について語る。

 このエッセイはホビットが出版されてから指輪物語が世に出るまでの時期に書かれた。物語の成立に関心のある人は指輪物語の次に読むのにいいかもしれない。

 一章の「妖精物語」でトールキン教授は当時フェアリーストーリーと何もかも一緒くたに他称されていた物語たちがはたしてほんとうに「妖精物語」と言えるものであるかどうか、ジャンル分けの篩にかけていく。

 私の読書の道のりが困難だったのは、この篩にかけられた、当時広く読まれていた冒険物語、神話、SF小説、寓話、夢物語等々についての知識がなく、本文と原註、訳註とをひっきりなしに行ったり来たりしなければならず、疲弊したからである。今にして思えば、この章の註釈部分はごく短いのだからコピーを取るなりスマートフォンで写真に取るなりすればすこしは楽だったのではなかったか。もちろん書写しても良い。

 二章の「起源」で物語のスープと骨という概念が出てきてからは俄然面白くなり、調子が悪くなければ毎日数十ページのペースで最後まで読み進められた。長さや割合こそ違うものの、これはまったく『指輪物語』の「ホビットについて」と同じ、はじまりの部分が読みにくい罠である。(個人の感想です)

 

 読書中メモを清書。

・知らない書名やキャラクターの名前の洪水の中に雷神トール(ソー)の名前が出てくるとホッとする。

・『ガチョウ番の娘』(グリム童話?)読みたい。読んだことがあるような気もするが、記憶が他の作品とごちゃごちゃになっている。

・「しかし、私は「このおもちゃは、十七歳から七十歳までのお子さまがたを楽しませるでしょう」という言葉で始まる新しい模型自動車の誇大な宣伝広告を見かけたことはない。」(子どもたちP73)現代ならありそう。

・「人間は準創造者であり、屈折した光線でありまして、

ただの白色も、その人を通せば、

多くの色となって分れ出るかと思えば、それらはさまざまな生きたもののかたちのなかで、絶えることなく混ぜあわされ、心から心へうつっていくのです。」(空想P112)白の方がよかったと言われた万色のサルマンについて考えたい。

・「逃避」という言葉が今日でもネガティブなイメージを持っているが、けしてそうではない。

・「それに、人造物としての屋根は、伝説のなかにあらわれる天の円蓋(えんがい)ほどに人を刺激しない。」(回復、逃避、眺めP129)天の円蓋は教授のときめきなのかもしれない。

・次に読みたい

トールキンによる福音書』、従軍経験について知りたいので『トールキン 或る伝記』、ルイスも気になるのでインクリングズ関係? 指輪物語ガイドも確認したいし、初心にかえってホビット研究本も読みたい。

 

アフター覚え書き

 2019年3月のエルフ語講座のアフターにて、『丕緒の鳥 十二国記』(新潮社/2013円/小野不由美)に収録の短編はファンタジーであるのか? という話題がちらりと出たのが興味深かった。(途中から聞き始めたので正確性に欠けるが、「最近の十二国記」というような言い方だったように思う)

 この時会話にあがったのはおそらくジャンル分けの話だと思うのだが、舞台こそ異世界ではあるものの、そこで起こる出来事はあまりに現実世界を反映しすぎている、戴王の話であろう新刊が待ち遠しい、とまあ、そんな感じのとりとめのない話だった。(酒席での話なので勘違いや記憶違いなどありましたら申し訳ありません)

 確かに上記の短編小説、特に「落照の獄」は読者を夢から覚ましこそすれ傷を癒やしてくれる逃避先としては些か厳しい状況が描かれている。読み物としてはたいへん面白く、他の三編に希望がないわけではない上にその「希望」が希望として信じられている状況こそが読者である私にとっても喜びと励みになっているのだが…。

 ファンタジーにもリアリティや緻密さがある方が好ましい反面、憧憬を誘う壮大さや美麗さを備えた逃避先でもあってほしい気持ちもある。シリーズものの長編にあのような話を組み込むのは難しいだろうから短編でこそ書きえた話なのだろうなあ、などと考えを巡らせたりもする。要は皆新刊が待ち遠しいのである。

 

 偶々『妖精物語について』を読み終えたばかりの時期にこういう話ができ、そこからまた何かしら考えることができてよかった。この記事も偶然にも京都エルフ語講座第一回のアフターから始まり第二回のアフターで締められたので、なんとなくまとまった感がある。

 

 エルフ語講座を担当してくださった伊藤盡先生、講座の開催に尽力してくださったNHK文化センター京都教室の今田翔子様、アフター主催のel様、トールキンのこと・ファンタジーのこと様々お話をしてくださった参加者の皆様に感謝いたします。